タッペレーテン (海防戦艦)

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「タッペレーテン」

タッペレーテン (Tapperheten) はスウェーデン海軍海防戦艦アラン級。艦名は第一次ロシア・スウェーデン戦争時の戦列艦から引き継いでいる[1]

マルメーのコックムス社で建造[2]。1899年起工[2]。1901年11月7日進水[2]。1903年1月24日竣工[2]

基準排水量3650トン、満載排水量3735トン、全長89.7m、水線長87.5m、最大幅15.02m、計画吃水5.02m[2]

主砲はボフォース44口径21cmM/98型砲2門で、艦前後の単装砲塔に搭載[3]。副砲はボフォース44口径15.2cmM/98型速射砲6門を単装砲塔で搭載した[3]。他の兵装はフィンスポング55口径57mmM/89b型砲10門とアームストロング・ホイットワース45,7cmM/99型水中魚雷発射管2門[2]

主機はモータラ製直立3気筒3段膨張蒸気往復動機関2基、主缶はヤーロー水管缶8基で、出力5500指示馬力[2]。2軸推進で計画速力16.5ノット[2]。受領公試の5時間航走で6000指示馬力、17.7ノットを発揮した[1]。航続距離は12ノットで3000浬[2]

装甲はKCで厚さは水線装甲帯が最大175mm、主砲バーベットと前楯190mm、側楯と後楯140mm、副砲バーベット100mm(ニッケル鋼とも)、前楯125mm、後楯60mm、シタデル175mm(ボフォース製とも)、司令塔175mm[4]。甲板は11.5mm厚鋼板2枚+25mm装甲鈑(普通鋼[5]

1906年からアラン級4隻には前檣の三脚檣化とそこへの2m測距儀搭載がなされた[6]

1907年夏、「タッペレーテン」は海防戦艦「オスカル2世」、「トール」、水雷巡洋艦「エーネン」とともにイギリスでの観艦式に参加した[7]。1909年夏、グスタフ5世を乗せドイツのザスニッツへ向かう「オスカル2世」を海防戦艦「マンリゲーテン」などと共に護衛[7]

1914年1月28日、「タッペレーテン」はサンドハム沖で座礁した[8]。まず救難船「ポセイドン」が牽引を試みたが、缶室への浸水を招いた[8]。次いで海防戦艦「アラン」、「ヴァーサ」が加わって牽引を試みるも成功しなかった[8]。そこで排水作業が行われることになり、完了後の7月1日に離礁に成功した[8]。要した経費は1340808クローナであった[8]

1919年、アラン級4隻他の艦隊がイェヴレに入港した際、水兵がそこの祭りに参加したが、乱闘騒ぎとなった[9]。日本の夏祭りが元だという祭りの名前から、このことは「ニッポン戦争」呼ばれたという[9]

「タッペレーテン」(1939年撮影とされる)[8]

「タッペレーテン」は「マンリゲーテン」とともに1926年にアムステルダムポーツマスガーンジー島フラールディンゲンを、1927年にプリマスサン・セバスティアンビルバオロッテルダムを訪問し、その後予備艦となる[8]

第二次世界大戦が勃発すると再就役し、また「アラン」と同様の近代化改装がなされた[10]。兵装の内、8mm機銃は連装1基ないし2基搭載[6]

1947年6月13日除籍[2]。1952年に売却され、解体された[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『海防戦艦』135ページ
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『海防戦艦』143ページ
  3. ^ a b 『海防戦艦』132、143ページ
  4. ^ 『海防戦艦』134、143ページ
  5. ^ 『海防戦艦』134ページ
  6. ^ a b 『海防戦艦』142ページ
  7. ^ a b 『海防戦艦』147ページ
  8. ^ a b c d e f g 『海防戦艦』139ページ
  9. ^ a b 『海防戦艦』128ページ
  10. ^ 『海防戦艦』140-142ページ

参考文献[編集]

  • 橋本若路『海防戦艦 設計・建造・運用 1872~1938』イカロス出版、2022年、ISBN 978-4-8022-1172-7