ジョー・アレクサンダー

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ジョー・アレクサンダー
Joe Alexander
Joe Alexander.JPG
名前
本名 Joe Alexander
ラテン文字 Joe Alexander
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1986年12月26日(27歳)
出身地 台湾の旗 台湾高雄
身長 203cm
体重 100kg
選手情報
ポジション SF
ドラフト 2008年 8位
経歴
2008-2010
2010
2010
2010-
ミルウォーキー・バックス
シカゴ・ブルズ
ニューオーリンズ・ホーネッツ
テキサス・レジェンズ

ジョー・アレクサンダーJoe Alexander, 1986年12月26日 - )はアメリカ合衆国バスケットボール選手。アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAの下部組織NBADLテキサス・レジェンズに所属している。出生地は台湾、出身大学はウェストバージニア大学

経歴[編集]

生い立ち[編集]

台湾で生まれたアレクサンダーは2歳の時にはメリーランド州シルバースプリングに移住。8歳の時にはネスレで働いていた父の転勤に伴い中国に渡り、北京での6年間(うち半年は香港で過ごした)でアレクサンダーは北京語が堪能になった。北京では1996年からインターナショナル学校に通い始めるが、ここではジョーよりも兄のジョンとジェレミーが先にバスケット選手として名を馳せ、2人は北京の高校バスケットボールMVPに輝いた初の外国人となった。

その後2002年に再びメリーランドに戻ったアレクサンダーはリンガノリ高校に進学。最終学年には14.8得点7.0リバウンドを記録し、さらにシーズン通算90ブロック、FG成功率58.0%は同校の新記録となった。しかし当時のアレクサンダーは地方校の名もないエースの一人に過ぎず、NCAAのデビジョンIIやデビジョンIIIの大学からは勧誘はあったものの、デビジョンIのエリート大学からの誘いは皆無だった。そこでアレクサンダーは奨学金を得るためにバージニア州のハーグレーブ陸軍士官学校に通うことを決心。士官学校ではサム・ヤングら後のカレッジスターとなる選手が在籍したため、出場時間は殆ど得られなかったが、2004-05シーズンの1シーズンだけ通った後に奨学金を得て、ウェストバージニア大学に進学することができた。

大学キャリア[編集]

念願のデビジョンI所属校に進学を果たしたものの、1年目は殆ど出場時間が得られず、10試合の出場で1.3得点の成績だった。しかし2年目の2006-07シーズンになるとようやくアレクサンダーの才能が認められ、全試合に先発出場を果たして10.3得点4.3リバウンドと大きく数字を伸ばすと、3年目の2007-08シーズンにはチームのエーススコアラーとなり、16.9得点6.4リバウンドを記録してビッグ・イースト・カンファレンスのオール1stチーム、AP通信選出のオールアメリカに選ばれた。士官学校時代のチームメイト、サム・ヤングが在籍するピッツバーグ大学との試合では32得点を記録し、ウェストバージニア大としては28年ぶりとなる2試合連続30得点以上を達成、NCAAトーナメントではSweet16まで勝ち上がった。

大学では3年間だけプレイし、2008年のNBAドラフトにアーリーエントリーした。

NBAキャリア[編集]

ドラフトではミルウォーキー・バックスから全体8位指名を受けてNBA入りを果たした。2008-09シーズンは、52試合の出場で4.7得点1.9リバウンドとドラフト当初の期待に応える事ができなかった。翌2009-10シーズンは怪我の影響もありDリーグ落ちも経験。また、シーズン中にジョン・サーモンズとのトレードでハキム・ウォリックと共にシカゴ・ブルズに移籍となった。

シーズン後、ニューオーリンズ・ホーネッツへ移籍したが、2010-11シーズン序盤に解雇された。その後、NBADLテキサス・レジェンズと契約した。

プレイスタイル[編集]

白人選手としては珍しいバリバリのスラムダンカー。高い身体能力と長い腕、優れたシューティングタッチはミスマッチの発生を容易くする。ゲームに対する高い知識も持っており、ディフェンスに対する読みも深い。アウトサイドシュートに関しては向上の必要がある。ディフェンスではフェイクに引っかかり易く、また安易にファウルをもらおうとする所がある。

プレドラフトキャンプ時の身体データ

ウイングスパン ジャンプ力 スプリント ベンチプレス
212cm 97.8cm 2.99秒 24回

※スプリントはコート3/4(約21m)走。ベンチプレスは約84kg。

外部リンク[編集]