ジョン・ミリ

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ジョン・ミリ Gjon Mili
誕生日 (1904-11-28) 1904年11月28日
出生地 オスマン帝国の旗 オスマン帝国 コルチャ(現 アルバニアの旗 アルバニア
死没年 1984年2月14日(1984-02-14)(79歳)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 コネチカット州スタンフォード
芸術分野 写真家
出身校 マサチューセッツ工科大学
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ジョン・ミリ(Gjon Mili、1904年11月28日 - 1984年2月14日)は、アルバニア出身のアメリカ合衆国写真家である。パブロ・ピカソなどの芸術家を撮影しており、『ライフ』誌に掲載された作品で最もよく知られている。

生涯[編集]

オスマン帝国モナスティル州英語版コルチャ(現 アルバニア領)で生まれた。幼少期をルーマニアで過ごし、ブカレストの国立ゲオルゲ・ラザル高等学校に入学した。1923年にアメリカに移住した。1939年より、『ライフ』誌の写真家として働き始め、1984年に亡くなるまでその職に就いていた。在職中、有名人や芸術家、スポーツイベント、コンサート、彫刻、建築などを撮影してきた。撮影した中には、スペイン・リビエラパブロ・ピカソ、フランス・プラードに亡命中のパブロ・カザルスイスラエルで拘束中のアドルフ・アイヒマンなどもいた。

1937年よりマサチューセッツ工科大学ハロルド・ユージン・エジャートンと共同で仕事をするようになり、一連の動作を1枚の写真に収めるためにストロボ装置を使用した先駆者となった。工学者としての訓練を受け、独学で写真を学んだミリは、電子フラッシュとストロボ光を使って、それまで科学の目的にしか使われて来なかったストロボ写真で芸術的な作品を作り上げた[1]。彼の作品は、肉眼では見分けがつかないほど高速で複雑な動きの、美しさと優雅さを明らかにしている。1940年代半ばには、写真家エドワード・ウェストンのアシスタントを務めた。

1944年にはワーナー・ブラザースが制作した短編映画『ジャミン・ザ・ブルース英語版』(Jammin' the Blues)を監督した[2][3]。この作品には、レスター・ヤングレッド・カレンダー英語版ハリー・エディソンシド・キャットレット英語版(ビッグ・シド)、イリノイ・ジャケー英語版バーニー・ケッセルジョー・ジョーンズマリー・ブライアント英語版などのジャズ・プレイヤーが出演している。ミリはこの映画の撮影監督は務めていないが(ロバート・バークス英語版が務めた)、この映画ではストロボを使ったマルチイメージの静止画を思い起こさせるような多重画像が使われている。この想像力に富んだカメラの使い方は、ミュージシャンを撮影した映画の中では画期的なものだった。

40年以上の間に、何千枚もの彼の写真が『ライフ』誌や他の出版物に掲載された[1]

ミリは、肺炎のためコネチカット州スタンフォードで79歳で死去した[1]

脚注[編集]

外部リンク[編集]