シュラクサイの僭主の一覧

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シュラクサイの僭主の一覧では、古代のシュラクサイ(現シラクサ)の僭主を一覧で列挙する。

シュラクサイは、シチリア東岸に位置する古代ギリシア都市国家である。この都市はコリントスの住民によって、紀元前734年から733年に建設された。紀元前212年共和政ローマによって征服され、その後はシチリアにおけるローマの支配地となった。独立都市であった時代の多くの期間は、短期間の民主制寡頭制の時代を除いて、この都市は僭主によって治められていた。ピンダロスは、頌歌の中で、オリンピアでの二輪馬車レースで優勝したシチリアの僭主のことを「王」と呼んだが、紀元前304年アガトクレスは、王(バシレウス)の称号を採択した。

一覧[編集]

【民主制(紀元前465年-紀元前405年)】

【寡頭制(紀元前337年-紀元前317年)】

エピルスによる支配(紀元前277年-紀元前275年)】

カンナエの戦いでローマ軍が大敗した後、ヒエロニムスはハンニバルと同盟を結んだが、それがその後の都市の運命を決定づけることとなった。シュラクサイがカルタゴを支援した結果、マルクス・クラウディウス・マルケッルス率いるローマ軍は、紀元前214年に街の包囲を開始した。街は紀元前212年まで持ちこたえたが、陥落した。