ゲオルギーナ・フォン・ヴィルツェク

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リヒテンシュタイン侯夫人ギーナ、1988年

ゲオルギーナ・フォン・ヴィルツェクGeorgina Gräfin von Wilczek, 1921年10月24日 グラーツ - 1989年10月18日 グラープススイス)は、リヒテンシュタインフランツ・ヨーゼフ2世の妻。全名はゲオルギーナ・ノルベルタ・ヨハンナ・フランツィスカ・アントーニエ・マリー・ラファエラ(Georgina Norberta Johanna Franziska Antonie Marie Raphaela)。一般には愛称のギーナGina)で親しまれた。

フェルディナント・フォン・ヴィルツェク伯爵とその妻のキンスキー・フォン・ヴヒニッツ・ウント・テッタウ伯爵夫人ノルベルティーネの間の娘として、グラーツで生まれた。父方の曽祖父に北極探検家でオーストリア地理学協会の総裁を務めたヨハン・ネポムク・ヴィルツェク伯爵がいる。1943年3月7日にファドゥーツにおいて、クールの司教クリスティアン・カミナーダ(Christian Caminada)の主宰により、フランツ・ヨーゼフ2世と結婚した。リヒテンシュタイン家の当主がオーストリアチェコスロヴァキアではなく、現在のリヒテンシュタイン侯国の領内で婚礼を行ったのは、これが初めてだった。

第2次世界大戦中、ギーナは強制労働に駆り出された人々や戦争捕虜の解放に尽力し、1945年6月22日にはリヒテンシュタイン赤十字社を創設して自らその初代総裁に就任した。赤十字社総裁職は1984年に義理の娘のマリー・キンスキーに引き継がれた。1989年10月、夫の死の1か月前にスイスの病院で死去した。墓はファドゥーツ大聖堂にある。

子女[編集]

参考文献[編集]

  • Centre d'Études des Dynasties Royales Européenes