ケア島

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ケア
Κέα
ケア島(Vourkari付近の景色)
ケア島(Vourkari付近の景色)
地理
GR Kea.PNG
座標 北緯37度37分 東経24度20分 / 北緯37.617度 東経24.333度 / 37.617; 24.333
諸島 キクラデス諸島
行政
ギリシャの旗 ギリシャ
地方 南エーゲ
中心地 Ioulis
統計
人口 2,417人 (2001現在)

ケア島ギリシア語: Κέα / Kea)は、エーゲ海キクラデス諸島北西部に位置するギリシャ領の

名称[編集]

古くはケオース島((古典ギリシア語: Κέως / Keos)と呼ばれ、ケオス島とも表記される。ラテン語でもケオス島(Ceos)の名で呼ばれた。

ツィア島ギリシア語: Τζια / Tzia、その他のアルファベット表記: Gia, Zea)とも呼ばれる。

地理[編集]

アッティカが最も近く、ラヴリオからフェリーで約1時間。スニオン岬からだと約20km、アテネからだと南西に60km付近にある。砂漠気候で、丘が多い。大きさは南北19km、東西9km。面積は129km²。一番高いところで標高560m。

中心地のIoulisは標高の高いところに位置し(古代のキクラデス諸島の植民地のほとんどがそうだが、海賊の襲撃を恐れたからである)、絵のように美しい。他にも、Korissiaという港、Vourkariという漁村がある。アテネ市民の週末のヨット遊びの目的地として見直されるが、ここ何十年かは人口の減少に悩まされ、2001年現在、2417人しか住んでいない。

歴史[編集]

青銅器時代、ケア島のAgios Nikolaos付近には、現在「アギア・イリニ」と呼ばれる植民地があり、ミノア文明後期からミケーネ文明初期にかけて(紀元前1600年〜紀元前1400年)栄えた。

古代ギリシア時代には、シモーニデースとその甥バッキュリデース(ともに抒情詩人)、ソフィストのプロディコスの出身地として知られる。

その後、東ローマ帝国の領土となり、多くの教会が建設され、島は繁栄した。1204年第4回十字軍ヴェネツィアが占領。1278年、東ローマ帝国に返還。1296年、再度ヴェネツィアに占領され、Ioulisの古代のアクロポリスの上に城が建てられた。港は海賊の避難所となり、1470年になると島には200人の住民しかいなくなった。

1527年にはオスマン帝国に占領された。しかしトルコ人は島に住まず、代わりにアルヴァニテス(アルバニア語を話すギリシャ人集団)を16世紀の終わり頃、島に植民した。この期間、ケア島には、平安を望む多くの宗教的・知的人々が集まった。トルコ人がほとんどいない島だったからである。しかし、1668年、島の住民がヴェネツィアを味方したことで、島はトルコ人たちによって破壊された。しかし、残った住民たちには住む権利を許され、その世紀の末には人口は3000人に達した。

行政区画[編集]

ケア
Κέα
所在地
ケアの位置
ケア
座標 北緯37度37分 東経24度20分 / 北緯37.617度 東経24.333度 / 37.617; 24.333座標: 北緯37度37分 東経24度20分 / 北緯37.617度 東経24.333度 / 37.617; 24.333
行政
国: ギリシャ
地方: 南エーゲ
: ケア=キトノス県
人口統計 (2011年)
ディモス
 - 人口: 2,455 人
 - 面積: 128.9 km2
 - 人口密度: 19 人/km2
その他
標準時: EET/EEST (UTC+2/3)
公式サイト
http://www.kea.gr/

自治体(ディモス)[編集]

地方自治体としてのケア市Δήμος Κέας)は、キクラデス地方ケア=キトノス県に属する。市域には、1組のフェリー会社と海運会社を有するマクロニソス島を含む。

キクラデス諸島の自治体。ケア市は8。

参照[編集]

外部リンク[編集]