アンナ・シードロヴァ

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アンナ・ヴラジーミロヴナ・シードロヴァ
Anna Sidorova - Vancouver 2010.jpg
バンクーバー五輪スウェーデン戦に勝利したのち。
個人情報
生誕名 Сидорова, Анна Владимировна
フルネーム Сидорова, Анна Владимировна
愛称 アーニャ( Аня )など
国籍 ロシアの旗 ロシア連邦
居住地 ロシアの旗 ロシア連邦・モスクワ
誕生日 1991年2月6日(23歳)[1]
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
Flag of Russian SFSR.svg ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国・モスクワ市[1]
身長 170 cm[2]
体重 57.5 kg[2]
スポーツ
ロシアの旗 ロシア連邦
競技 カーリング
大学 ロシア国立人文大学ロシア語版
チーム モスクヴィーチ
モスクワ
担当コーチ O・A・アンドリアーノヴァ
成績
国内大会決勝 2008年: 優勝[3]
2009年: 優勝[3]
2010年: 優勝[3]
オリンピック決勝 2010年バンクーバー: 9 位
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アンナ・ヴラジーミロヴナ・シードロヴァロシア語: А́нна Влади́мировна Си́дорова[注 1] 、1991年2月6日 - )は、ロシア連邦の女子カーリング選手である。ロシア・シニア代表チームのサード(ロシア語では『副将 вице-скип 』とも呼ばれる[4])を務めており[1]2010年バンクーバーオリンピックのいくつかの試合では正スキップ英語版(主将)のリュドミーラ・プリヴィーフコヴァに代わってスキップも務めた[5]

概要[編集]

ソビエト連邦ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国時代のモスクワ市に生まれた[1]

6 歳から 13 歳までフィギュアスケートに取り組んでおり、 1 級を保有していた。当初は軍中央スポーツクラブ学校で学び、のちに有名な指導者リュボーフィ・フェドルチェンコのスタジオで学んだ。しかし、足に負った重度の怪我が原因で引退を余儀なくされた[1]

スポーツなしで悲しむことのないよう考えた知り合いの助言でカーリングに挑戦することになった。2005年から競技を始めたが、半月後にはマスター候補に名を挙げ、世界ジュニアカーリング選手権に参加するようになった。最初はモスクワの高等スポーツ技術試験学校「モスクヴィーチ」ロシア語版のカーリングチーム「モスクヴィーチ」でプレーした。スヴェトラーナ・カラルプが、最初のトレーナーとなった[1]。その後、同じくモスクワに本拠地を持つチーム「モスクワ」のメンバーになった。オーリガ・ジャルコーヴァロシア語版をスキップとするチーム「モスクワ」において、シードロヴァは2008年以降ロシア大会での三期連続優勝を経験している[3]

2009年には、ロシアのカーリング第 2 チームを編成した。ある試合では、アンナのチームは主力チームより好成績を挙げた。2010年1月、シードロヴァは主力チームへ招集された。バンクーバーオリンピックの試合ではサードを務め、一部の試合ではスキップを務めた。

ロシア国立人文大学ロシア語版に籍を置いており、政治史法史学部で学んでいる[1]

成績[編集]

参加したチームの成績。

ロシア大会[編集]

ヨーロッパ大会[編集]

世界大会[編集]

脚注[編集]

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出典[編集]

外部リンク[編集]