アントワーヌ・ボーメ

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Antoine Baumé
アントワーヌ・ボーメ
Antoine Baumé
生誕 (1728-02-26) 1728年2月26日
フランス王国サンリス
死没 1804年10月15日(1804-10-15)(76歳)
フランスの旗 フランス帝国パリ
国籍 フランス
研究分野 化学薬学
主な業績 ボーメ度
プロジェクト:人物伝
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アントワーヌ・ボーメ: Antoine Baumé, 1728年2月26日 - 1804年10月15日)は、フランス化学者

1728年、フランス北部のサンリスに生まれ、化学者クロード・ジョゼフ・ジョフロア英語版のもとに弟子入りした。1752年、薬科学校に入り、同年に化学教授となる。その後パリで化学製品を扱う事業を興すが、1780年応用化学の研究に専念するため引退した。しかし、フランス革命のため再び事業に戻らざるを得なくなった[1]

ボーメは絹の漂白染色めっき硝石製錬などで功績を残したが、特に液体の密度の測定の研究で知られ、ボーメ度にその名が残っている[1]

ボーメは多数の文献を著したが、主なものにÉléments de pharmacie théorique et pratique(9版、1762年–1818年)がある。1772年フランス科学アカデミー1796年フランス学士院に入り研究を行った。

1804年10月15日、パリで亡くなる。76歳没[1]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  •  この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Baumé, Antoine". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 3 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 539.