アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ

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幼少期のザクセン=コーブルク=ゴータ公女アマーリエ、フランツ・ヴィンターハルター画、1855年

マリー・ルイーゼ・フランツィスカ・アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータMarie Luise Franziska Amalie von Sachsen-Coburg und Gotha, 1848年10月23日 コーブルク - 1894年5月6日 ミュンヘン)は、ザクセン=コーブルク=ゴータ家カトリック系の分家コハーリ侯爵家の公女で、バイエルン公マックス・エマヌエルの妻。

ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アウグストと、その妻でフランス王ルイ・フィリップの娘であるクレマンティーヌ・ドルレアンの次女として生まれた。弟にブルガリア王フェルディナンド1世がいる。

結婚適齢期になると、バイエルン王子レオポルトとの縁談が持ち上がった。ところが、レオポルト王子の親類でオーストリア皇后エリーザベトの弟マックス・エマヌエルがアマーリエに一目ぼれし、間に割り込んでくる事態となった。複雑な三角関係は、オーストリア皇后の采配で円満な解決をみた。皇后エリーザベトはレオポルトをゲデレーに招き、自分の娘ギーゼラ大公女と見合いをさせた。オーストリア皇帝の娘婿になれるチャンスを逃したくないレオポルトはギーゼラに乗り換えた。

1875年9月20日にエーベンタール(現オーストリアニーダーエスターライヒ州ゲンゼルンドルフ郡)においてマックス・エマヌエルと結婚した。夫妻は幸福な家庭生活を送ったが、1893年に夫が急死するとアマーリエは極端に気落ちし、腹膜炎に罹って翌1894年に死去した。45歳だった。

子女[編集]

夫マックス・エマヌエルとの間に3人の息子をもうけた。