はんだ山車まつり
はんだ山車まつり(はんだだしまつり)とは、愛知県半田市において、五年に一度、西暦の下一桁が2、もしくは7の年にの10月第1週の日曜日とその前日の土曜日に行われるイベントである。
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[編集] 概要
半田市内に存在する、10地区31組31輛の知多型の山車を、神事とは関係なく、同市東雲町にある半田市役所近辺の駐車場(最近は同市東洋町の駐車場)に集める催事である。
[編集] 歴史
昭和54年5月5日に、半田青年会議所の設立15周年記念行事として第一回が行われた。 その後、青年会議所内に「半田山車祭り保存会」を発足。昭和62年10月11日に、半田市制50周年記念事業として「第2回 はんだ山車まつり」を開催。このときに、以後、5年に1度催事を開催するよう決定した。
[編集] 過去の開催日程と会場
- 会場:半田市役所東空き地(現:半田市立半田病院)
- 会場:半田市役所北東(市役所職員駐車場)
- 会場:平和通り(JR半田駅~市役所職員駐車場)
- 会場:平和通り(JR半田駅~市役所職員駐車場)
- 会場:名鉄知多半田駅東~JR半田駅~市役所職員駐車場一帯
- 会場:名鉄知多半田駅東ロータリー~JR半田駅~市立さくら小学校一帯
[編集] 第一回目開催までの経緯
半田青年会議所15周年事業を決定する際に、半田市内の山車を一箇所に集めてはどうか、との意見が出、採択された。第一回目山車まつりの行われる数年前より、青年部の委員が各山車組織を回り、調整を図ったが、難航した。 半田市内には、犬山祭りや高山祭りなどのように、大きな敷地を有する神社がなく、神事として山車を集める、と言う大義名分が作れず、神事に深くかかわる山車を神事以外で引き出す、と言うこと事態に反発があったからである。 会場予定地も、当初青年部が考えていた地区が下半田地区であることから、ほかの地区から反発が相次いだ。 とくに、神社の格式が高い亀崎地区では「もし(31台)集めるなら、県社(神前神社)にもってこい」と引かず、また、板山・岩滑新田地区は下半田から遠く、参加は見送りとの返答であった。 そのおりに、一部から、どこの地区にも属さない11号地にある公園を会場にしてはどうか、との意見があったが、ほぼ全ての地区の山車の最も低い高さが、11号地の入り口にある唯一の道路をまたぐ鉄道橋よりも高いため、却下された。 結局は、半田市役所裏の駐車場(現在の半田市民病院の敷地)に会場が決定した。 しかし、市側が提示した、各山車組織への運行などにかかる諸経費への寄付金が全組一律であったため、距離のある亀崎地区や成岩地区が反発。「距離を正確に測り、その距離に応じて出すべきである」と意見が出るなど、一時会合が紛糾したが、会場に近い地区が寄付金受け取りを拒否し、その分を遠方にまわす、と言う形で収まった。 こうして会場や日程なども決定したが、依然として板山・岩滑新田地区の参加が危ぶまれていた。 結局、この地区では予定日の直前になって参加を決定した地区が多く、中には、予定の前日の夜になってから参加を決定し、夜を徹して山車を組んだ組もあった。 こうして、イベント当日までに、何とか全組の山車が出場することになったが、トラブルが皆無であったわけではない。 特に、亀崎地区と板山地区においては、イベント前に青年会議所との話し合いが何度かなされたが、①亀崎地区の山車を通すための、一時的な信号機の撤去②自動車道の高架橋を潜れない板山地区の山車の、トレーラー搬送の2点において、了承を得ることができず、結局、当日強行的に行った。亀崎町については、即日中に修理を行うよう指示があったが、トレーラーについては、白バイによる巡回があったものの、それ以外は注意もなかった様である。
なお、本項目は一粒書房出版の「その時、半田の歴史が動いた(酒井義弘著)」を参考とした。