つりたくにこ

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つりたくにこ
本名 高橋邦子(旧姓:釣田)
生誕 1947年10月25日
日本の旗 日本
兵庫県高砂市
死没 (1985-06-14) 1985年6月14日(37歳没)
国籍 日本
職業 漫画家
活動期間 1965年 - 1985年
ジャンル SFシュルレアリスム
代表作 『フライト』(風木繭名義)
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つりたくにこ1947年10月25日 - 1985年6月14日)は、日本の女性漫画家風木繭(かぜきまゆ)[1]はざまくにこはざまくに子[2]などの名義も用いていた。

略歴[編集]

1947年兵庫県高砂町東宮町[3](現・高砂市)に生まれた。中学時代に水木しげる白土三平平田弘史さいとう・たかをなどの漫画に親しみ、自らも創作活動を始めた[3]高砂中学校高砂高校と進学し、この頃には既に『少女フレンド』などに原稿の持込みをしていた[4]

1965年に、青林堂が漫画雑誌『ガロ』を創刊。新人募集を行っていた同誌に、つりたは「人々の埋葬/神々の話」を持ち込み、掲載された[4]。その翌年に高校を卒業、上京した。

上京後は講談社若木書房などにも、はざまくにこ(はざまくに子)名義で少女マンガを描いていた。しかし次第に少女マンガを描くことに苦痛を感じるようになり、1967年ごろにはそのような作風の作品を描かなくなった[5]1968年には水木しげるのアシスタントも務めたが、約一ヶ月で辞めた[6]。この頃から創作のペースが落ちてきていた。

1972年に結婚し、京都に転居した[7]。しかしその翌年から体調を崩し、不治の病である全身性エリテマトーデス(SLE)に罹患していることが判明[7]。病状は徐々に悪化したため、この時期の作品の発表数は非常に少ない。

1979年に、青林堂から作品集が刊行された。また同年に、病室で『フライト』を完成させ、『ヤングジャンプ』創刊を記念して創設された「青年漫画大賞」に応募(風木繭名義)、佳作となった[1]。『フライト』は翌年に『ヤングジャンプ』に掲載された。継続的に『ガロ』にも作品を発表していたが、1981年の「帰路」(『ガロ』1981年10月)を最後に、1982年以降には作品を発表することはなかった[8]

1985年6月14日、入院先の病院で死去。享年37[8]

作品リスト[編集]

作品集[編集]

未発表作品[9][編集]

  • 世界を巡る美少女二人
  • 雪の日
  • バルダス
  • ポセデ
  • それはもうメチャメチャな日でございました
  • 人間につかまえられた一匹のモグラは絶叫した

ほか多数。

その他[編集]

2010年連続テレビ小説ゲゲゲの女房』に登場し、南明奈が演じた河合はるこについて、つりたがモデルとする説もある。番組にはるこが再登場した1981年の時点では実際のつりたは41歳になっていたが(即ち誕生は1939年40年)、ブレイク前の水木の元を日参して少しアシスタントを務めたのが60年代である点は一致している。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『フライト』(2010)p.437
  2. ^ 『フライト』(2010)p.431
  3. ^ a b 『フライト』(2010)p.429
  4. ^ a b 『フライト』(2010)p.430
  5. ^ 『フライト』(2010)p.433
  6. ^ 『フライト』(2010)p.434
  7. ^ a b 『フライト』(2010)p.436
  8. ^ a b 『フライト』(2010)p.438
  9. ^ 『フライト』(2010)p.444

参考文献[編集]