うずしおライン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
Japanese Route Sign Number 2.svgJapanese Route Sign Number 5.svg
兵庫県道25号標識
Japanese Route Sign Number 2.svgJapanese Route Sign Number 3.svgJapanese Route Sign Number 7.svg
兵庫県道237号標識
Japanese Route Sign Number 4.svgJapanese Route Sign Number 7.svgJapanese Route Sign Number 7.svg
兵庫県道477号標識

うずしおラインは、兵庫県南あわじ市にかつて存在した総延長約20km有料道路南淡路道路」の愛称である。また、無料開放後の下記県道同区間の愛称でもある。

目次

[編集] 概要

福良港とともに四国への玄関口であった阿那賀港国道28号を結ぶ有料道路として1966年昭和41年)4月に兵庫県が開設。さらに鳴門岬(門崎)を経て福良を結ぶ区間が1969年(昭和44年)4月に開通。1971年(昭和46年)に兵庫県道路公社が継承。1987年(昭和62年)10月8日に無料開放された[1]

[編集] 歴史

  • 1966年(昭和41年)4月1日 : 志知 - 阿那賀間で南淡路有料道路供用[2]
当時の阿那賀港は、淡路島鳴門海峡を挟んで対峙する四国側の大毛島徳島県鳴門市)の亀浦港鳴門公園付近)に連絡する淡路フェリーボート[3]が発着しており、阪神と四国を結ぶ重要な路線であった。フェリーの運航便数は1日に36便で所要時間は18分と、国道28号の福良港からの鳴門フェリー(12便、50分)よりも便利であった。なお、淡路島側と同様に、大毛島側と四国本土の間も小鳴門橋徳島県道11号鳴門公園線)と鳴門スカイライン(徳島県道183号亀浦港櫛木線)が別ルートで結んでいた。こちらも無料開放されている。
  • 1969年(昭和44年)4月1日 : 阿那賀 - 鳴門岬 - 福良間が開通。
鳴門の渦潮が望める門崎を経由する観潮ラインとして福良まで開通。4月8日にはうずしおレストランが営業を開始している[2]
大鳴門橋の開通により国道28号と阿那賀港とを結ぶ役割を終える[4]。しかし、西淡出入口がうずしおラインと接続されていたことから、西淡三原インターチェンジが完成するまでの2年弱の間は、「鳴門海峡を渡るためのアクセス道路」としての重要な役割を、大鳴門橋開通前と同様に担っていた。なお、西淡出入口とは暫定的に設置された出入口であって現存しない。場所は現在の71.2キロポストが置かれている付近(北緯34度16分41秒東経134度42分20秒、近隣に南あわじ市衛生センター)にあった[5]
洲本インターチェンジ・西淡出入口間が開通し、洲本市と鳴門市が高速道路によって直に結ばれるようになった。これに合わせてうずしおラインは無料開放された。ただし、淡路島南インターチェンジが接続されていることから、現在においても「鳴門海峡を渡るためのアクセス道路」としての機能を少なからず果たしている。なお、国土交通省によると淡路島南インターチェンジの1日あたりの利用台数は約2,000台である。

[編集] 当時の通行料

区間 通行料(普通車) 備考
福良甲-福良丙~阿那賀 200円 いずれの出入口を利用しても可
阿那賀-榎列小榎列 150円 西淡出入口では本州四国連絡道路の同出入口 - 淡路島南IC間の料金(普通車の場合100円)と合算して収受していた

[編集] 制限速度

  • 福良甲-福良丙-阿那賀 : 40km/h
  • 阿那賀-榎列小榎列 : 50km/h

[編集] 接続道路

[編集] 沿道施設

[編集] 脚注

  1. ^ 公社の概要・沿革及び組織”. 兵庫県道路公社. 2011年3月2日閲覧。 (PDF, 3.91MiB)
  2. ^ a b 南淡路の歴史”. 2010年3月2日閲覧。
  3. ^ 1965年(昭和40年)の航路開設当初は鳴門海峡フェリー。
  4. ^ 淡路フェリーボートも就航船を小型化。その後1995年平成7年)には航路を廃止。
  5. ^ 似たような事例としては、九州道人吉仮出入口が挙げられる。

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス