「殉国七士廟」の版間の差分
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'''殉国七士廟'''(じゅんこくななしびょう)は、[[愛知県]][[西尾市]]東幡豆町の[[三ヶ根山]]にある[[廟]]。[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]判決に従い[[死刑]]を執行された7名の軍人・政治家を祀っている。高さ5メートルほどの石碑で「殉国七士墓」と彫られており、作られた当時の首相、[[岸信介]]の[[揮毫]]である。7人の遺骨は実際に碑石の下に埋まっている<ref name="chuo nippo">[http://japanese.joins.com/article/055/175055.html 戦犯を殉国烈士に…日本極右の「隠された聖地」] [[中央日報]]日本語版 2016年3月7日閲覧</ref>。 |
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公表後、地元の[[形原町]]役場(現在の[[蒲郡市]]西部市民センター)には「明るく楽しい[[観光地]]におくとは何事だ。平和な三河山頂に、暗い恥ずかしい思い出につながる記念碑を建てるのは、許すことは出来ない」などといった投書が殺到し、[[アメリカ合衆国国務省|アメリカ国務省]]も懸念を表明したが{{sfn|加藤信行|2007}}、[[幡豆町]]側の「一躍有名になれば観光価値からいっても上々だ」という意見もあり{{sfn|加藤信行|2007}}、[[1960年]](昭和35年)8月16日に墓前祭が実現した。 |
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* {{Cite journal |和書 |author=加藤信行 |title=戦犯の墓碑を支える人々―興亜観音・殉国七士の碑をめぐって(聖地・慰霊・宗教的ナショナリズムの再構築) |journal=宗教研究 |volume=80 |issue=4 |publisher=日本宗教学会 |date=2007-03 |pages=973–974 |url=https://doi.org/10.20716/rsjars.80.4_973 |naid=110006271642 |ref=harv}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2020年4月28日 (火) 18:55時点における版
殉国七士墓 | |
詳細 | |
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開園 | 1960年(昭和35年)6月29日 |
所在地 | |
国 | 日本 |
座標 | 北緯34度49分0.8秒 東経137度8分59.1秒 / 北緯34.816889度 東経137.149750度座標: 北緯34度49分0.8秒 東経137度8分59.1秒 / 北緯34.816889度 東経137.149750度 |
種別 | 歴史的 |
運営者 | 一般社団法人殉国七士奉賛会 |
火葬数 | 7 |
ウェブサイト | http://ki43.on.coocan.jp/ |
殉国七士廟(じゅんこくななしびょう)は、愛知県西尾市東幡豆町の三ヶ根山にある廟。東京裁判判決に従い死刑を執行された7名の軍人・政治家を祀っている。高さ5メートルほどの石碑で「殉国七士墓」と彫られており、作られた当時の首相、岸信介の揮毫である。7人の遺骨は実際に碑石の下に埋まっている[1]。
由緒
三文字正平(弁護士)は1952年(昭和27年)のサンフランシスコ平和条約締結と同時に廟の建設運動を開始した。1958年(昭和28年)4月28日、東京の日比谷で開かれた極東国際軍事裁判弁護団解散記念会で墓碑建設が正式に発表された。
遺灰を回収・保管していたのも三文字正平である[1]。
公表後、地元の形原町役場(現在の蒲郡市西部市民センター)には「明るく楽しい観光地におくとは何事だ。平和な三河山頂に、暗い恥ずかしい思い出につながる記念碑を建てるのは、許すことは出来ない」などといった投書が殺到し、アメリカ国務省も懸念を表明したが[2]、幡豆町側の「一躍有名になれば観光価値からいっても上々だ」という意見もあり[2]、1960年(昭和35年)8月16日に墓前祭が実現した。
被祀者
軍人
文官
交通
有料道路三ヶ根山スカイライン内にある。公共交通機関は無いため、自動車で行く場所である。
- 東名高速道路岡崎インターチェンジから
- 国道1号→愛知県道327号市場福岡線→愛知県道480号美合幸田線→国道248号→愛知県道383号蒲郡碧南線→三ヶ根山スカイライン経由で約45分。
注釈
参考文献
- 加藤信行「戦犯の墓碑を支える人々―興亜観音・殉国七士の碑をめぐって(聖地・慰霊・宗教的ナショナリズムの再構築)」『宗教研究』第80巻第4号、日本宗教学会、2007年3月、973–974、NAID 110006271642。