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黄老思想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

黄老思想(こうろうしそう)は、古代中国戦国時代末期から代初期に流行した、道家または法家雑家政治思想である。黄老の学黄老の術、黄老道ともいう。黄帝老子に仮託されることからこのように称される。

無為の治」を掲げ、君主が政治に過度に干渉することを避け、天道に背く勝手な行動をとることを禁じ、最小限のに統治を委ねるべきとする思想である。

黄帝四経』と『老子』をその思想的根拠・経典とする。『史記』によれば、稷下の学士である慎到田駢接予環淵中国語版がその代表的人物である。また、『史記』老子韓非子列伝では、申不害韓非子を「黄老に本づき刑名をたっとぶ」として、法家の刑名思想(形名思想ともいう、君主が臣下を統御する思想)を黄老に由来するとしている。そのことから黄老刑名の学とも呼ばれる。そのほか、宋銒尹文范蠡[1]、『管子[1]淮南子[1]鶡冠子[1]なども黄老思想の関連人物・思想書とみなされる。

受容

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黄老思想は前漢前期に流行し、曹参汲黯田叔らによって伝えられた[2]。とりわけ、文帝の妻の竇太后が黄老の書を好み、子の景帝・孫の武帝の治世初期まで黄老思想にもとづく政治が敷かれた[3][4]。その間の時代は「文景の治」と呼ばれる黄金時代と重なる。

しかしその後、竇太后の死を契機として黄老思想の支持勢力は衰退し、公孫弘に代表される儒者にとって代わられた[3]。ただし、『老子』はその後も重んじられ続け、劉向馬融による注釈や『』との接近を経て、後漢末期から三国時代には初期道教玄学の経典になった[5]

『黄帝四経』は早期に散逸していたが、1973年馬王堆漢墓から出土した馬王堆帛書に、『黄帝四経』にあたると推定される四篇の文章『経法』『十六経』『称』『道原』、および『老子』の異本が記された帛書が発見された。そのような経緯から、黄老思想の詳細な研究は20世紀末から始まった。

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d 浅野 1992, p. 18.
  2. ^ 『史記』楽毅列伝には、曹参に到るまでの黄老の学の系譜が書かれており、河上丈人→安期生→毛翕公→楽瑕公→楽臣公→蓋公→曹参となっている。このうち、楽臣公と蓋公は実在が確かめられる人物である。
  3. ^ a b 井ノ口 2012, p. 31f.
  4. ^ ウィキソースのロゴ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:『史記』外戚世家
  5. ^ 井ノ口 2012, p. 64f.

関連文献

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  • 浅野裕一『黄老道の成立と展開』創文社、1992年。ISBN 978-4423192405 
  • 池田知久 『馬王堆出土文献訳注叢書 老子』東方書店、2006年。ISBN 978-4497206053
  • 井ノ口哲也『入門 中国思想史』勁草書房、2012年。ISBN 978-4326102150 
  • 金谷治「古佚書「経法」等四篇について」『儒家思想と道家思想 金谷治中国思想論集 中巻』平河出版社、1997年(原著1979年)。ISBN 978-4892032868 
  • 澤田多喜男『黄帝四経 馬王堆漢墓帛書老子乙本巻前古佚書』知泉書館、2006年。ISBN 978-4901654777 
  • 朱淵清 著、高木智見 訳『中国出土文献の世界―新発見と学術の歴史』創文社、2006年。ISBN 4423450062 
  • 曹峰『近年出土黄老思想文献研究』中国社会科学出版社、2015年。ISBN 978-7516157084 (中国語)
  • 曹峰『中国古代"名"的政治思想研究』上海古籍出版社、2017年。ISBN 978-7532584840 (中国語)
  • Cao, Feng (2018), Daoism in Early China: Huang-Lao Thought in Light of Excavated Texts, London: Palgrave Macmillan, ISBN 978-1137557223 (英語)
  • 芳賀良信「『経法』の形名思想における思惟形式」『礼と法の間隙―前漢政治思想研究』汲古書院、2000年。ISBN 9784762997334