雑賀隆知
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 明応3年(1494年) |
死没 | 天正10年6月18日(1582年7月7日) |
別名 | 通称:半十郎 |
官位 | 紀伊守 |
主君 | 大内義興→義隆→義長→毛利元就→隆元→輝元 |
氏族 | 藤原姓雑賀氏 |
父母 | 父:雑賀範治 |
妻 | 松岡道興の娘 |
子 | 隆利、隆与、女子、男子(雑賀式部少輔養子)、丹治 |
雑賀 隆知(さいか たかとも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大内氏、毛利氏の家臣。父は雑賀範治。嫡男は雑賀隆利。
生涯
[編集]明応3年(1494年)、大内氏家臣である雑賀範治の子として生まれ、大内氏に仕える。
毛利元就の防長経略により弘治3年(1557年)4月に大内氏が滅亡すると、隆知は嫡男の隆利と共に毛利氏の家臣となった。
天正10年(1582年)6月18日に死去。享年89。嫡男の隆利が家督を相続している。