金森可寛
表示
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 元禄5年(1692年) |
死没 | 享保13年2月3日(1728年3月13日) |
別名 | 宮内 |
戒名 | 性覚院心玄義廓大居士 |
墓所 | 祥雲寺 |
官位 | 従五位下長門守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 出羽上山藩、美濃郡上藩世嗣 |
氏族 | 金森氏 |
父母 | 父:金森頼旹 母:某氏 |
兄弟 | 可寛、可充、可麗、酒井重信、紋之助、駒之助 |
妻 | 岩上氏 |
子 | 頼錦、娘 |
金森 可寛(かなもり よしひろ)は、江戸時代中期の出羽国上山藩、美濃国郡上藩の世嗣。官位は従五位下・長門守。
略歴
[編集]金森頼旹の長男として誕生。
宝永4年(1707年)、徳川綱吉に拝謁し叙任する。本来であれば藩主の座を継ぐはずだったが、享保13年(1728年)父に先立ち37歳で死去した[1]。
代わって長男の頼錦が嫡子となり、藩主の座を継いだ。
脚注
[編集]- ^ 新訂寛政重修諸家譜第六』株式会社続群書類従完成会、1964年、256頁