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豊里町立竹花小学校十五貫分校

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豊里町立竹花小学校十五貫分校

十五貫分校 正門
地図北緯38度35分57.55秒 東経141度12分34.69秒 / 北緯38.5993194度 東経141.2096361度 / 38.5993194; 141.2096361座標: 北緯38度35分57.55秒 東経141度12分34.69秒 / 北緯38.5993194度 東経141.2096361度 / 38.5993194; 141.2096361
過去の名称 豊里町立竹花小学校十五貫分校
国公私立の別 公立学校
設置者 豊里町
設立年月日 1910年12月
閉校年月日 1972年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 987-03
宮城県登米郡豊里町大字赤生津字内畑62
(現:登米市豊里町内畑62)
外部リンク 公式サイト (日本語)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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豊里町立竹花小学校十五貫分校(とよさとちょうりつ たけばなしょうがっこうじゅうごかんぶんこう)は、かつて宮城県登米郡豊里町(現:登米市)にあった豊里町立竹花小学校分校である。

概要

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竹花小学校に統合される時点では、4年生までが対象で、1・2年生と3・4年生の複式学級制をとっていた。生徒数は最も多い時で男女計1学年で17名。5年生に進級する時点で、竹花小学校に通学した。

学区

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  • 豊里町十五貫、豊里町内畑、豊里町内田、豊里町上谷地

沿革

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  • 1898年(明治31年)- 米山町の民家を購入移建、普通学校並みの教授を行っていた。
  • 1910年(明治43年)12月 - 豊里尋常高等小学校の十五貫分教場として正式に認可され発足。
  • 1912年(大正1年)12月 - 改築竣工。
  • 1921年(大正10年)4月 - 十五貫分校の5~6年生は、竹花小学校に通学することとなる。
  • 1952年(昭和27年)- 豊里町立竹花小学校に編入される。
  • 1954年(昭和29年)- 内畑62に移転改築、簡易水道施設、校庭緑化。
  • 1972年(昭和47年)- 豊里町立竹花小学校に統合され、閉校。

関連項目

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外部リンク

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  • 大平聡「登米市内学校資料調査の成果について」『キリスト教文化研究所研究年報 : 民族と宗教』第49号、宮城学院女子大学キリスト教文化研究所、2015年、95-123頁、doi:10.20641/00000263ISSN 0386-751XNAID 110010022269 [リンク切れ]
  • 水土里ネット
  • 町の年譜表 - ウェイバックマシン(2019年9月16日アーカイブ分)