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謝覚哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中国の政治家
謝覚哉
謝覺哉
謝覚哉
生年月日 (1884-04-27) 1884年4月27日
出生地 清の旗 湖南省寧郷県沙田郷
没年月日 1971年6月15日(1971-06-15)(87歳没)
死没地 中華人民共和国の旗 中国 北京市
所属政党 中国共産党
配偶者 何敦秀
王定国
子女 謝宏
謝飄
謝飛
謝列
謝雲
謝亜霞
謝亜旭

内閣 周恩来内閣
在任期間 1959 - 1965
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謝覚哉
各種表記
繁体字 謝覺哉
簡体字 谢觉哉
拼音 Xiè Juézāi
英語名 Xie Juezai
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謝 覚哉(しゃ かくさい、1884年4月27日 - 1971年6月15日)は、中国の政治家、教育家。字は煥南。号は覚斎。元最高人民法院院長[1]董必武徐特立呉玉章林伯渠と共に「延安五老」と呼ばれる[2]

来歴

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1884年、湖南省寧郷県沙田郷で生まれる[3]

1921年、新民学会に入会。

1925年、中国共産党に入党。

1939年、中共中央党校副校長、西北局副書記、陝甘寧辺区政府秘書長、陝甘寧辺区参議会副議長を歴任する。

1945年-1949年、法律研究委員会主任委員、華北人民政府司法部長。

1949年後、国家内務部部長(現在の中華人民共和国民政部部長)、中国政法大学校長、最高人民法院院長、全国政協副主席、中共八届中央候補委員。

1971年6月15日、北京で病死した。

家庭

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  • 妻:何敦秀
    • 長子:謝廉伯
    • 次子:謝子谷
    • 三子(早世)
    • 四子:謝放
    • 長女:謝群英
    • 次女:謝冰茹
  • 妻:王定国
    • 長女:謝宏
    • 長子:謝飄
    • 次子:謝飛
    • 三子:謝列
    • 四子:謝雲
    • 次女:謝亜霞
    • 五子:謝亜旭

著書

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  • 『謝覚哉文集』
  • 『謝覚哉日記』
  • 『謝覚哉雑文集』
  • 『謝覚哉詩選』
  • 『不惑集』
  • 『一得集』

脚注

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外部リンク

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官職
先代
設置
中華人民共和国民政部部長
1949-1959
次代
銭瑛
先代
董必武
最高人民法院院長
1959-1965
次代
楊秀峰