西坊千影
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西坊 千影(にしのぼう ちかげ)は江戸時代後期の俳人。西坊家第6代当主胤昌(たねまさ)。俳号は敲月居千影。
生涯
[編集]宝暦6年(1756年)12月13日、園城寺山内円満院の坊官西坊(にしのぼう)家第5代当主胤良(たねよし)の長男として生まれた。宝暦10年(1760年)12月22日、5歳で父に死に別れ、母袖岡に育てられたが、成人して父のあとを継いだ。宝暦11年(1761年)11月11日家督、明和8年(1771年)6月15日得度、明和8年(1771年)8月1日叙法橋、安永6年(1777年)6月28日叙法眼、寛政4年(1792年)12月26日叙法印、民部卿。前室は、綾部藩主九鬼隆貞の娘蕗であった。 文政8年(1825年)2月14日、70歳で没し、大津市の新光寺に葬られた。 法号は観空院禅室影昌法印。
俳人として
[編集]俳譜は蝶夢に学び、寛政1年(1789年)に蝶夢の編んだ『新類題発句集』に11句みえるのが、少なくとも千影の名では最も早い時期の句である。 寛政5年(1793年)には、義仲寺や幻住庵などで芭蕉の百回忌がおこなわれたが、千影はこれらに参列し、幾つかの句を残している。後年、義仲寺が無住となったおり、千影がその管理に当たったこともある。享和3年(1803年)、現豊岡市城崎町へ旅をして城崎温泉御所の湯で『梅か香や御所のゆあみの女から』等の俳句を詠んでいる。
系譜
[編集]天武天皇-舎人親王-御原王-小倉王-清原夏野-海雄-房則-業恒-広澄・・・・・古市胤晃-胤條-胤尋-胤尊-重胤-隆胤-藤勝-澄胤-胤慶-胤栄-西坊胤清-胤将-胤信-周胤-胤良-胤昌(千影)-敬胤-暹胤-七造-胤明-現当主
参考文献
[編集]- 平成3年(1991年)10月1日発行、大津の人物(p106)
- 平成18年(2006年)10月31日発行、武庫川国文第68号(p26~p31)
- 平成23年(2011年)9月8日発行、西坊家譜(p8~p11)
- 平成27年(2015年)1月18日発行、古市氏系図続
- 平成27年(2015年)2月8日発行、西坊家口伝集続々(6p)