藤谷功彦

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藤谷 功彦(ふじたに いさひこ、1876年明治9年)9月19日 - 1914年大正3年)2月28日)は、日本薬理学者である[1][2]

経歴・人物[編集]

藤谷家の子爵であった藤谷為寛の甥(為寛の弟の子)として京都上京に生まれる[2]1900年(明治33年)に京都府立医学専門学校(現在の京都府立医科大学)卒業後[2]、京都帝国大学(現在の京都大学)の助教授として教鞭を執った[1][2]

1902年(明治35年)には母校の京都府立医専に教授として回帰し[1][2]薬学および医化学を専門に教鞭を執る[2]1911年(明治44年)には医学博士を取得した[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 藤谷功彦”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2024年2月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 藤谷 功彦”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ). 2024年2月23日閲覧。