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自画像 (プッサン、1649年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『自画像』
ドイツ語: Selbsbildnis
英語: Self-portrait
作者ニコラ・プッサン
製作年1649年
種類キャンバス油彩
寸法78.7 cm × 64.8 cm (31.0 in × 25.5 in)
所蔵絵画館 (ベルリン)

自画像』(じがぞう、: Selbsbildnis: Self-portrait)は、17世紀フランスの巨匠ニコラ・プッサンが1649年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。ポール・フレアール・ド・シャントルー英語版の委嘱により描かれ[1]、プッサンの庇護者であり、パリ在住の富裕な絹業者であったジャン・ポワンテル (Jean Pointel) に捧げられた[2][3][4]。翌年、パリに送付され、1660年のポワンテルの財産目録に明記されている[2]。画面上部は、後に2、3センチほど切断されている[1]。作品は、1821年エドワード・ソリー英語版のコレクションとともにフリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)プロシア国家のために購入し[1]、現在は絵画館 (ベルリン) に所蔵されている[1][2]

作品

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ニコラ・プッサン『自画像』 (1650年)、ルーヴル美術館パリ

背景のだまし絵のレリーフには、月桂樹の花輪を担っているプット[4]たちが鑑賞者に背を向けて描きこまれている[1][2]。彼らは、「夜」、「死」 (タナトス)、「眠り」 (ヒュプノス) を表す寓意像として解釈でき、メランコリーな構図は墓碑銘を想起させる[1]

プットたちの間には、薄い石板のような部分が認められる[2][4]。その上部には、ラテン語で「Nicolaus Poussinus Andelyensis Academicus Romanus Primus Pictor Ordinarius Ludovici Iusti Regis Galliæ. Anno Domini 1649. Roma. Ætatis Suæ. 55」 (ニコラ・プッサン、レザンドリ出身。ローマ・アカデミー会員。フランス王ルイ正義王付き主席画家。神の1659年に。55歳の年齢で」と記されているが、この銘文は後に本作がエングレービングに記録される前に (1660年までに) 記入されたものである[1][2]

プッサンは左手で『光と色彩』 (De Lumine et Colore) [1][2][4] (1649-1660年の間に、プッサンの工房以外の手で書き加えられた題名[1]) と背表紙に描きこまれた1冊の書物を持ち、左には絵筆を握っている。おそらく鏡に映る自身の姿を見て描いたために、こうした結果が生じたものと思われる。長髪、鷲鼻、口髭に特徴があり、見開いた目と口元が印象的である。画家というより、学者風の相貌にプッサンの本質が垣間見える[2]

古典主義の画家であったプッサンは肖像画に距離を置いていたが、この作品の制作は友人であったポワンテルのためであった。画家は本作に満足しておらず、翌年、別の『自画像』 (ルーヴル美術館パリ) をシャントルーのために制作した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j (ドイツ語) Selbsbildnis”. 2024年10月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 辻邦生・高階秀爾・木村三郎、1984年、74頁。
  3. ^ (フランス語) L[ouis] Poillon (1868). Nicolas Poussin - étude biographique (1 ed.). Lille ; Paris: Louis-Joseph Lefort. p. 97-99, 109. https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k63560539/f107.item 
  4. ^ a b c d W.フリードレンダー 1970年、172頁

参考文献

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外部リンク

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