第68軍団 (ロシア陸軍)
第68軍団 | |
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創設 | 1941年8月14日 |
所属政体 |
ソビエト連邦 → ロシア |
所属組織 | ロシア陸軍 |
部隊編制単位 | 軍団 |
兵科 | 諸兵科連合 |
兵種/任務 | 陸戦 |
所在地 | サハリン州ユジノサハリンスク |
上級単位 | 東部軍管区 |
戦歴 |
第二次世界大戦 ロシアのウクライナ侵攻 |
指揮官 | ドミトリー・グルシェンコフ中将 |
第68軍団(だい68ぐんだん、ロシア語: 68-й армейский корпус)は、ロシア陸軍の軍団。東部軍管区隷下。
戦時中には、陸軍新聞『祖国の息子』を発行していた。
第68軍団の任務は日本方面(北部方面隊)の軍事衝突に備えることとなっている。[1]
概要
[編集]第二次世界大戦
[編集]1941年8月14日、第二次世界大戦の影響に伴い、赤軍の第51軍としてクリミア自治ソビエト社会主義共和国(現クリミア共和国)で創設された[2]。
1941年9月から、独ソ戦に投入され、クリミア自治ソビエト社会主義共和国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、ドイツを転戦して枢軸国に勝利し、戦後に解隊された[2]。
冷戦
[編集]1977年、ソ連地上軍の第2軍団(ソ連軍の第2軍団なので、ルガンスク人民共和国の第2軍団とは無関係と思われる)を基幹に、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国サハリン州で再編された[3]。
1992年12月26日、ソビエト連邦の崩壊とロシアの独立に伴い、創設されたロシア陸軍に編入した。
1997年、部隊縮小に伴い、第68軍団に改編され、2010年に軍縮で解隊された[3]。
2014年4月、ドンバス戦争の影響に伴い、第18機関銃・砲兵師団、第39独立自動車化狙撃旅団を基幹に、サハリン州で再編された。
ロシアのウクライナ侵攻
[編集]北東部・イジューム戦線
[編集]2022年4月中旬、ロシアのウクライナ侵攻では、北東部ハルキウ州イジュームで攻勢を開始し、歩兵不足で第18機関銃・砲兵師団も歩兵部隊として突撃したが、東部ドネツィク州バフムート地区シヴェルシクで撃退された[4][5]。9月上旬にはウクライナ軍が攻勢を開始し、北東部ハルキウ州の大部分を解放されて撤退した[6][7]。
東部・南ドネツク戦線
[編集]2022年10月下旬、東部ドネツィク州ヴォルノヴァーハ地区に配置され、第29諸兵科連合軍、第1軍団と合同で攻勢を開始し、パウリウカ(ヴフレダール・フロマーダ)を占領したが、ヴフレダールで撃退された[8][9]。
東部・アウディーイウカ戦線
[編集]2023年10月上旬、東部ドネツィク州ポクロウシク地区に再配置され、第39独立親衛自動車化狙撃旅団がDIY戦闘車両を運用してノヴォ・ミハイリウカ(マリンカ・フロマーダ)で攻勢を開始したが、地雷原で撃退されて戦死者1人の損害を出した[10]。
編制
[編集]- 第137司令部大隊(ユジノサハリンスク)
- 第18機関銃・砲兵師団(ゴリャチエ・クリュチ村)
- 第39独立親衛自動車化狙撃旅団(ユジノサハリンスク)
- 第312独立ロケット砲大隊(ダクノエ)
- 第676独立工兵大隊(ダクノエ)
- 第327独立電子戦大隊(ダクノエ)
著名な出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ “我が国周辺における ロシア軍の動向について”. 2023年2月閲覧。
- ^ a b 第51軍 ヴォロネジ州立大学公式サイト
- ^ a b 第51軍 The Luftwaffe, 1933-45
- ^ ロシア軍、イジューム戦線に240ミリ自走迫撃砲投入 各地の戦況報告=ウクライナ軍参謀本部 ウクルインフォルム
- ^ Russia Sends Pacific Island ‘Machine Gun Artillery Division’ To Ukraine フォーブス
- ^ Український наступ. Що сталося на Слобожанщині? LB.ua
- ^ ウクライナ軍、北東部ハルキウ州で30超の集落を掌握 ゼレンスキー氏 CNN
- ^ Российские войска устроили ВСУ сюрприз под Угледаром ブズグリャート
- ^ Remylind23 Telegram
- ^ 仮設屋根で頭隠したロシアのDIY戦闘車両、地雷で下からやられる フォーブス・ジャパン