第21回オールスター競輪
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第21回オールスター競輪は、1978年に西宮競輪場で行われた。
決勝戦
[編集]田中博、阿部道とともに、1970年代中盤から終盤まで「三強時代」を形成してきたものの、その当時の面影がすっかりなくなっていた福島正幸が、世界選手権自転車競技大会、プロ・スクラッチで2連覇を果たしながらも、特別競輪(現在のGI)では未だ優勝経験がなかった中野浩一に挑んだ「最後の戦い」。
- 9月26日(火)
着順 | 車番 | 選手 | 登録地 |
---|---|---|---|
1 | 8 | 天野康博 | 新潟県 |
2 | 2 | 福島正幸 | 群馬県 |
3 | 9 | 中野浩一 | 福岡県 |
4 | 7 | 国持一洋 | 静岡県 |
5 | 5 | 緒方浩一 | 熊本県 |
6=落車再乗 | 4 | 渡辺孝夫 | 大阪府 |
7=落車再乗 | 6 | 桑木和夫 | 栃木県 |
8=落車再乗 | 3 | 堤昌彦 | 福岡県 |
落車棄権 | 1 | 高橋健二 | 愛知県 |
- 配当
- 連勝単式 6-2 1960円
レース概要
[編集]中野と高橋の主導権争いとなったが、最終的には中野が高橋を制して主導権を握って先行。これに対し、8番手の福島が、最終バック付近で天野を連れて捲って出た。福島の掛かりは良かったように思われたが、2センター付近で高橋がバランスを崩して落車した影響を受け、直線に入るとその勢いは鈍った。最後は福島マークから天野が抜け出し優勝。福島2着、中野3着。
三強時代の終焉と中野時代の到来
[編集]1975年の第28回日本選手権競輪の後、上記の「三強時代」から、「ヤング全盛時代」へと移った当時の競輪界であったが、三強最後の生き残りといってもいい福島が自身の「復活」をかけ、「ヤングの旗手」という存在でありながらも、未だ競輪でのタイトルがなかった中野に、最後の力を振り絞って挑んだ戦いとなったが、この一戦後は一度も特別競輪の決勝戦には進出できず、4年後の1982年に34歳の若さで引退した。
これに対し、今大会では福島に先着を許した中野だが、当年の競輪祭を制して悲願の初タイトルを奪取するや、後に「ミスター競輪」と呼ばれ、競輪界でも確固たる地位を築き上げていくのである。
特記事項
[編集]- 決勝戦中継は、サンテレビの制作により放送された。
- 最終日の入場者数は34,382人、六日間の総売上は78億2482万7700円だった。
参考文献
[編集]- 越後の闘将 天野康博物語 - 弥彦競輪
- レース結果 - KEIRIN.JP
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