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空知太駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
空知太駅
そらちふと
Sorachifuto
砂川 ((2M68C[1])約4.6 km)
所在地 北海道空知郡奈江村南空知太(現・砂川市空知太)
北緯43度32分2.8秒 東経141度54分30.1秒 / 北緯43.534111度 東経141.908361度 / 43.534111; 141.908361座標: 北緯43度32分2.8秒 東経141度54分30.1秒 / 北緯43.534111度 東経141.908361度 / 43.534111; 141.908361
所属事業者 北海道炭礦鉄道
所属路線 空知線(後の函館本線の一部)
駅構造 地上駅
開業年月日 1892年明治25年)2月1日
廃止年月日 1898年(明治31年)7月16日
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空知太駅(そらちふとえき[2][3])は、北海道空知郡奈江村南空知太(現・砂川市空知太)にあった、北海道炭礦鉄道空知線(現在の函館本線の一部)の廃駅)である。北海道官設鉄道上川線との接続により、廃駅となった。なお、当時の呼び方は空知太停車場であるが、ここでは現代の呼び方で空知太駅に統一する[注釈 1]

概要

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本線を砂川駅まで延伸した北海道炭礦鉄道は、引き続き空知川上流の炭田開発の意図を持って、当初計画では空知川を渡河して対岸の滝川側にあった空知太駅逓所(現・滝川市新町三丁目2)近くまで延伸して当駅を設け、また空知川手前から赤平方面へ分岐線を敷設する予定であったが、小道すらほとんど無い原生の沼沢地帯の軟弱な地盤による難工事の連続と資金難から、渡船船着場[注釈 2] や対岸の駅逓所とも離れた空知川手前の辺鄙な場所へ延伸しただけで終え、当駅を設けた[4][注釈 3][注釈 4]。その後、北海道官設鉄道が滝川方から延伸して空知川を渡って接続し、北海道炭礦鉄道との協議によって砂川駅を共同使用駅とする契約の際に廃駅となった[5]。廃止後は北海道炭礦鉄道と北海道官設鉄道の分界点として空知太または空知川の名前が残った[6][7]

その後、昭和時代にほぼ同じ地点に日本国有鉄道函館本線の空知太信号場、のち仮乗降場が設けられ、客扱いをしていた時期がある(「関連項目」参照)。

構造

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副本線を持っていた[8]

歴史

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年表

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  • 1892年明治25年)2月1日:北海道炭礦鉄道 空知線の空知太駅(そらちふとえき)として開設[6][9]。砂川-空知太 2M68C[1](3M00C記述の文書も有り[注釈 5])。
  • 1898年(明治31年)7月16日:北海道官設鉄道上川線が当駅に接続。砂川-滝川間営業開始と伴に当駅を廃止[5][6][10]
    • 財産の分界点として「空知太」(そらちぶと)が地点名として残る(砂川-空知太 3M00C[注釈 5]) [11][注釈 6]
    • 分界点の地点名が「空知川」となる(砂川-空知川 3M00C[注釈 5][7]
  • 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭鉱鉄道会社所属鉄道国有化により分界点消失。

名前の由来

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滝が流れ落ちている入江、という意味のアイヌ語のソ=ラプ=チ=プトから。空知川が石狩川に合流する河口を指している[12]。対岸の滝川の地名もここから来ている[13]

隣の駅

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北海道炭礦鉄道
空知線
砂川駅 - 空知太駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 記事名はウィキペディアのガイドライン「記事名の書き方|駅記事名」による。
  2. ^ 北海道開発局HPより、 開発初期:空知川流域-産業 --滝川の歴史を語る宿 渡船と旅館業を営んでいた「三浦屋」は国木田独歩の小説「空知川の岸辺」(外部リンク参照)でも語られている。「三浦屋」は1886年(明治19年)から開削された上川道路(現、国道12号)沿いの空知川左岸(砂川側)にあった。
  3. ^ 政府や北海道庁との取り決め通りならば(位置は現在と異なるが)、滝川駅は北海道炭礦鉄道側が空知太駅として設けるはずであった。結局はそれを反故にした形になり、この問題は夕張線の勝手なルート変更と共に、薩摩閥の独占を快く思っていなかった勢力からの格好の糾弾対象となり、大きな政治問題と化して社長の堀基の更迭へと発展した。
  4. ^ 北海道炭礦鉄道会社 第三回営業報告(明治23年下期)によれば、当初計画では砂川-空知太間は4哩(マイル)2,140呎(フィート)、約7.1km であった。
  5. ^ a b c ただし1/4哩単位で端数処理された値。
  6. ^ 大日本鐵道線路全圖 General railway map of Japan. 1904、逓信省鉄道局 1905年出版(国立国会図書館デジタルコレクション)では砂川駅と滝川駅の中間で黒線(私設鉄道)と赤線(官設鉄道)が駅の印無く繋がっており、空知太の名が記されている。

出典

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  1. ^ a b 交通便覧 逓信省報告課編 交通学館発行 1893年出版、72頁 鉄道哩程(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 日本鉄道一覧表 明治27年6月調 1894年11月 逓信省鉄道局出版(国立国会図書館デジタルコレクション)のローマ字表記による。
  3. ^ 「北海道案内」 加藤重任 著 北海道物産共進会出版 1892年(明治25年)発行(国立国会図書館デジタルコレクション)振り仮名。
  4. ^ 北海道炭鉱汽船70年史 附図「従室蘭至空知太鉄道線路図」。
  5. ^ a b 日本鉄道史 中篇 鉄道省編 1921年 鉄道省出版、438頁(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ a b c 停車場変遷大事典 国鉄・JR編 JTB 1998年出版。
  7. ^ a b 「空知川」は一例として 「新鉄道実例」1901年出版 の営業哩程表に記述がある( 国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 北海道炭礦鐡道会社 第五回報告 5頁「副線敷設ハ空知太外二カ所」
  9. ^ 北海道炭礦鐡道会社 第五回報告 明治二十四年下半期(1891年10月~1892年3月)、1頁 社務総况 第2項「砂川空知太間開業 第二區空知線ノ内砂川驛ヨリ空知太驛ニ至ル幹線二哩四千五百二十七呎一吋ノ新設鐡道工事竣工セシヲ以テ本年一月中鐡道廰ノ監査ヲ経二月一日ヨリ營業ヲ開始セリ」
  10. ^ 『官報』1898年07月18日 内務省彙報 「北海道炭礦鐡道線空知太停車場廃止」(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 鉄道実例 第1巻 貨物編、森島友治郎編 1898年11月 田中伝吾出版、594頁 北海道炭鉱鉄道 営業哩程表(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 砂川市史
  13. ^ 滝川市史

参考文献

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  • 砂川市史 1971年2月発行
  • 滝川市史 下巻 1981年3月発行
  • 北海道炭鉱汽船70年史 1958年11月発行

関連項目

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  • 空知太信号場 - 昭和時代にほぼ同一地点に設けられた信号場。
  • 国木田独歩 - 北海道に新天地を求めた際に利用している。小説 『空知川の岸辺』(青空文庫)でこの駅のことに言及している。独歩は1895年(明治28年)9月にこの地を訪れた[1]
  1. ^ 三浦華園の歴史(ホテル三浦華園HP)