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神山郡昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神山郡昭
こうやま くにてる
生年月日 1855年3月27日
没年月日 (1943-09-01) 1943年9月1日(88歳没)
出身校 彦根県立学校
所属政党 公正会
配偶者 神山秋子
神山ひさ
神山シユン
子女 次男・神山嘉瑞
親族 父・神山郡廉(和歌山県令)

在任期間 1911年7月10日 - 1932年7月9日
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神山 郡昭(こうやま くにてる、1855年3月27日(安政2年2月10日[1])- 1943年昭和18年)9月1日[1][2])は、明治から昭和期の政治家華族貴族院男爵議員

経歴

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土佐藩士・神山郡廉の二男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1909年(明治42年)9月22日、男爵を襲爵した[1][3][5]

高知藩立学校で漢学を修め、彦根県立学校で英学を学んだ[2]1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]公正会に属して活動し、1932年(昭和7年)7月9日まで3期在任した[2]。同年7月21日に隠居し[8][注 1]、家督は二男神山嘉瑞が継承した[1]

親族

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  • 母 萬佐(まさ、中川武助長女)[1][4]
  • 先妻 秋子(本田親英長女)[1]
  • 後妻 ひさ(横井五百里三女、離縁)[1]
  • 後妻 シユン(大島博治長女)[1]
  • 二男 神山嘉瑞(貴族院男爵議員)[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、587頁では7月20日。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『平成新修旧華族家系大成』上巻、587頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』71頁。
  3. ^ a b 『人事興信録』第9版、カ124頁。
  4. ^ a b 『華族畫報 下』739頁。
  5. ^ 『官報』第7876号、明治42年9月23日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、21頁。
  7. ^ 『官報』第8423号、明治44年7月20日。
  8. ^ 『官報』第1677号、昭和7年8月2日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
神山郡廉
男爵
神山(郡廉)家第2代
1909年 - 1932年
次代
神山嘉瑞