白石宗直
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正5年(1577年) |
死没 | 寛永6年7月21日(1629年9月8日) |
改名 | 大之助(幼名)→梁川宗直→白石宗直→伊達宗直 |
別名 | 右門、備前、相模(通称)、硯斎(号) |
戒名 | 洞林寺殿瑞鳳常徳大居士 |
官位 | 贈正五位 |
主君 | 伊達政宗 |
藩 | 陸奥仙台藩一門 |
氏族 | 梁川氏→白石氏→登米伊達氏 |
父母 |
父:梁川宗清、母:大條宗家の長女 養父:白石宗実 |
兄弟 | 宗直、村田宗友、小梁川宗重室、西大立目重信室 |
妻 | 正室:心月院(白石宗実の娘) |
子 | 娘(岩城政隆室)、宗貞、藤田宗景、梁川宗元 |
白石 宗直(しろいし むねなお)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達氏の家臣。梁川宗清の長男。登米伊達家初代当主。
生涯
[編集]天正5年(1577年)、伊達氏の家臣・梁川宗清の子として誕生。
慶長4年(1599年)、岳父・白石宗実の養子となり胆沢郡水沢城主となる。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは上杉景勝の領地となっていた白石城の攻略戦、慶長出羽合戦で最上義光の援軍として活躍した。
同年、主君・伊達政宗の命を受け、南部氏に反乱を起こした和賀忠親を支援する(岩崎一揆)。ところが、この一件により伊達家は徳川家康との禄高100万石加増の約束「百万石のお墨付き」が反故にされたため、慶長9年(1604年)、宗直は責任を取って登米郡寺池城へ転封となった。同地では、城下町の発展や河川の整備などに積極的に取り組み、領地を大いに発展させた。
大坂の陣では宇和島で政宗の長男・伊達秀宗を出迎え、道明寺の戦いなどで大いに功を挙げ、元和2年(1616年)には伊達姓の名乗りを許された。これにより宗直の系統は登米伊達家と呼ばれるようになった。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.45