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2007年1月4日 (木) 16:59時点における版

范陽邁2世はんようまいにせい、Phạm Dương Mại II、? - ?)は、5世紀前半のチャンパ王国(林邑国)の国王。范陽邁1世の子。

もとの名を咄といったが、父王の死後に即位すると、父の生前を慕って「陽邁」と改名した。 446年交州刺史檀和之の侵攻にさいして范扶龍に迎撃させたが、范扶龍は敗死し、区粟城を落とされた。さらに宋軍が林邑国都に迫ったため、范陽邁2世は逃亡した。

先代
范陽邁1世
チャンパ王国国王
第三王朝2代:431年-446年
次代
范神成