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'''キャプテン・グウィリム・プー'''('''Captain Gwilym Puw'''、時々'''ウィリアム・ピュー'''として英語化されるc.[[1618年]] - c.[[1698年]])は、[[ウェールズ]]のカトリックの[[詩人]]、[[王党派]]の将校、北ウェールズの{{仮リンク|オームズ湾|en|Creuddyn Peninsula}}からの著名な[[国教忌避]]の家族の一員。
'''キャプテン・グウィリム・プー'''('''Captain Gwilym Puw'''、または'''ウィリアム・ピュー'''、[[1618年]] - [[1698年]])は、[[ウェールズ]]のカトリックの[[王党派詩人]]、[[王党派]]の将校、北ウェールズの{{仮リンク|オームズ湾|en|Creuddyn Peninsula}}からの著名な[[国教忌避]]の家族の一員。


[[ウェールズ語]]の詩が多作な作家であり、主にカトリックの信仰を擁護していた。また、カトリックの典礼作品を[[ラテン語]]から母国のウェールズ語に翻訳している。
[[ウェールズ語]]の詩が多作な作家であり、主にカトリックの信仰を擁護していた。また、カトリックの典礼作品を[[教会ラテン語]]から母国のウェールズ語に翻訳している。


1648年に、王への忠誠とローマの[[カトリック教会]]への献身を組み合わせたウェールズ語の詩を作曲した。彼は、イギリスを苦しめている政治的悪は、「真の宗教」の放棄に対する神の罰であると言う事から始める。そして、「古い信仰」が普及した時では、人々は遥かに幸せだったと続ける。しかし、良い時間は来ている。[[イングランド]]の[[円頂党]]は破滅的な敗北によって正方形となり、王は「黄金のベールの下」に戻るだろう。[[ミサ]]はもう一度歌われ、司教は主人を昇格させる。明らかに、幕屋の王位にある諸王の王への神秘的な仄めかしがあり、これが詩全体の根底にあるテーマである。
1648年に、イングランドである[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]への忠誠とローマの[[カトリック教会]]への献身を組み合わせたウェールズ語の詩を作曲した。彼は、イギリスを苦しめている政治的悪は、「真の宗教」の放棄に対する神の罰であると言う事から始める。そして、「古い信仰」が普及した時では、人々は遥かに幸せだったと続ける。しかし、良い時間は来ている。[[イングランド]]の[[円頂党]]は破滅的な敗北によって正方形となり、王は「黄金のベールの下」に戻るだろう。[[ミサ]]はもう一度歌われ、司教は主人を昇格させる。明らかに、幕屋の王位にある諸王の王への神秘的な仄めかしがあり、これが詩全体の根底にあるテーマである。
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:''この記事には、[[パブリックドメイン]]にある[[カトリック百科事典]]XV巻 Copyright © 1912の文章が組み込まれています。''
:''この記事には、[[パブリックドメイン]]にある[[カトリック百科事典]]XV巻 Copyright © 1912の文章が組み込まれています。''

2022年3月4日 (金) 14:55時点における最新版

キャプテン・グウィリム・プーCaptain Gwilym Puw、またはウィリアム・ピュー1618年 - 1698年)は、ウェールズのカトリックの王党派詩人王党派の将校、北ウェールズのオームズ湾英語版からの著名な国教忌避の家族の一員。

ウェールズ語の詩が多作な作家であり、主にカトリックの信仰を擁護していた。また、カトリックの典礼作品を教会ラテン語から母国のウェールズ語に翻訳している。

1648年に、イングランド王であるチャールズ1世への忠誠とローマのカトリック教会への献身を組み合わせたウェールズ語の詩を作曲した。彼は、イギリスを苦しめている政治的悪は、「真の宗教」の放棄に対する神の罰であると言う事から始める。そして、「古い信仰」が普及した時では、人々は遥かに幸せだったと続ける。しかし、良い時間は来ている。イングランド円頂党は破滅的な敗北によって正方形となり、王は「黄金のベールの下」に戻るだろう。ミサはもう一度歌われ、司教は主人を昇格させる。明らかに、幕屋の王位にある諸王の王への神秘的な仄めかしがあり、これが詩全体の根底にあるテーマである。


この記事には、パブリックドメインにあるカトリック百科事典XV巻 Copyright © 1912の文章が組み込まれています。

脚注[編集]