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Jiangning320115 (会話 | 投稿記録) m Category:ロシアの女性外交官を追加 (HotCat使用) |
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|前職 = 共産党官僚<br>ソビエト連邦人民代議員<br>外交官<br>マルタ大使<br>ギリシャ大使 |
|前職 = 共産党官僚<br>ソビエト連邦人民代議員<br>外交官<br>マルタ大使<br>ギリシャ大使 |
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|所属政党 = [[ソ連共産党]]<br>[[祖国・全ロシア]]<br>[[統一ロシア]] |
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|子女 = セルゲイ・マトヴィエンコ |
|子女 = セルゲイ・マトヴィエンコ |
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|親族(政治家) = |
|親族(政治家) = |
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|配偶者 = ウラジミール・ヴァシリエヴィッチ・マトヴィエンコ(1948 |
|配偶者 = ウラジミール・ヴァシリエヴィッチ・マトヴィエンコ(1948 - 2018) |
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|サイン = Signature of Valentina Matviyenko.png |
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|退任日3 = [[2003年]][[10月5日]] |
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|退任理由3 = サンクトペテルブルク市長に当選 |
|退任理由3 = サンクトペテルブルク市長に当選 |
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'''ワレンチナ・イワノヴナ・マトヴィエンコ'''('''マトビエンコ'''、{{Lang-ru|'''Валенти́на Ива́новна Матвие́нко'''}}、ラテン文字表記の例:{{lang|ru-Lat|'''Valentina Ivanovna Matviyenko'''}}、[[1949年]][[4月7日]] - )は、[[ロシア|ロシア連邦]]の[[政治家]]。 |
'''ワレンチナ・イワノヴナ・マトヴィエンコ'''('''マトビエンコ'''、{{Lang-ru|'''Валенти́на Ива́новна Матвие́нко'''}}、ラテン文字表記の例:{{lang|ru-Lat|'''Valentina Ivanovna Matviyenko'''}}、[[1949年]][[4月7日]] - )は、[[ロシア|ロシア連邦]]の[[政治家]]。副首相、[[北西連邦管区]]大統領全権代表、[[サンクトペテルブルク]]市長を歴任した後は[[%E9%80%A3%E9%82%A6%E9%99%A2_(%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2)#%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E8%AD%B0%E9%95%B7|連邦院議長]]を務めており、ロシアで最も著名かつ人気のある女性政治家の1人である。 |
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==経歴== |
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1949年4月7日に[[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国]]の[[フメリニツキー州]]シェペティフカに誕生する。[[1972年]]にレニングラード化学薬科大学を卒業し、[[1984年]]まで[[コムソモール]]活動に従事する。[[1985年]]に[[ソ連共産党]]アカデミーを卒業し、[[レニングラード]]市共産党組織・機関に勤務する。 |
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[[1989年]]に[[人民代議員大会|人民代議員]]に当選し、[[ソビエト連邦最高会議|最高会議]]女性・家族・児童問題委員会議長に選出された。[[1991年]]から[[1998年]]にかけて外交官となり、[[マルタ]]大使・[[ギリシャ]]大使などのポストを歴任した。1998年にロシア連邦政府に戻り、社会政策担当の副首相を務めた。 |
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[[2003年]]3月に[[ウラジーミル・プーチン]]大統領によって[[北西連邦管区]]大統領全権代表に任命される。2003年10月に[[サンクトペテルブルク]]市長候補に指名され、選挙を経て当選した。 |
[[2003年]]3月に[[ウラジーミル・プーチン|プーチン]]大統領によって[[北西連邦管区]]大統領全権代表に任命される。2003年10月に[[サンクトペテルブルク]]市長候補に指名され、選挙を経て当選した。 |
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2011年8月にサンクトペテルブルク市長を辞任し、同年9月に |
2011年8月にサンクトペテルブルク市長を辞任し、同年9月に連邦院議長に就任した<ref>{{cite news |title=露のナンバー3に初の女性 上院議長、帝政後最高位 |author=|newspaper=MSN産経ニュース|date=2011-09-21 |url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/110921/erp11092120520007-n1.htm |accessdate=2011-10-14}}{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。2019年9月25日に議長に3選した<ref>{{Cite news|url=https://tass.ru/politika/6925246?following_ch=4426|title=Валентину Матвиенко в третий раз избрали председателем Совета Федерации|agency=[[イタルタス通信]]|date=2019-09-25|accessdate=2019-09-25}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
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*[http://eng.gov.spb.ru/gov/governor 公式ホームページ]{{en icon}} |
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2021年8月21日 (土) 09:45時点における版
ワレンチナ・マトヴィエンコ Валентина Матвиенко | |
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2014年3月6日 | |
生年月日 | 1949年4月7日(75歳) |
出生地 |
ソビエト連邦 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 フメリニツキー州シェペティフカ |
出身校 |
レニングラード化学薬科大学 ソ連共産党アカデミー |
前職 |
共産党官僚 ソビエト連邦人民代議員 外交官 マルタ大使 ギリシャ大使 |
所属政党 |
ソビエト連邦共産党 祖国・全ロシア 統一ロシア |
配偶者 | ウラジミール・ヴァシリエヴィッチ・マトヴィエンコ(1948 - 2018) |
子女 | セルゲイ・マトヴィエンコ |
サイン | |
在任期間 | 2011年9月21日 - 現職 |
大統領 |
ドミートリー・メドヴェージェフ ウラジーミル・プーチン |
在任期間 | 2003年10月15日 - 2011年8月22日 |
大統領 |
ウラジーミル・プーチン ドミートリー・メドヴェージェフ |
在任期間 | 2003年3月11日 - 2003年10月5日 |
大統領 | ウラジーミル・プーチン |
在任期間 | 1998年9月24日 - 2003年3月11日 |
大統領 |
ボリス・エリツィン ウラジーミル・プーチン |
ワレンチナ・イワノヴナ・マトヴィエンコ(マトビエンコ、ロシア語: Валенти́на Ива́новна Матвие́нко、ラテン文字表記の例:Valentina Ivanovna Matviyenko、1949年4月7日 - )は、ロシア連邦の政治家。副首相、北西連邦管区大統領全権代表、サンクトペテルブルク市長を歴任した後は連邦院議長を務めており、ロシアで最も著名かつ人気のある女性政治家の1人である。
経歴
1949年4月7日にウクライナ・ソビエト社会主義共和国のフメリニツキー州シェペティフカに誕生する。1972年にレニングラード化学薬科大学を卒業し、1984年までコムソモール活動に従事する。1985年にソ連共産党アカデミーを卒業し、レニングラード市共産党組織・機関に勤務する。
1989年に人民代議員に当選し、最高会議女性・家族・児童問題委員会議長に選出された。1991年から1998年にかけて外交官となり、マルタ大使・ギリシャ大使などのポストを歴任した。1998年にロシア連邦政府に戻り、社会政策担当の副首相を務めた。
2003年3月にプーチン大統領によって北西連邦管区大統領全権代表に任命される。2003年10月にサンクトペテルブルク市長候補に指名され、選挙を経て当選した。
2011年8月にサンクトペテルブルク市長を辞任し、同年9月に連邦院議長に就任した[1]。2019年9月25日に議長に3選した[2]。
脚注
- ^ “露のナンバー3に初の女性 上院議長、帝政後最高位”. MSN産経ニュース. (2011年9月21日) 2011年10月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Валентину Матвиенко в третий раз избрали председателем Совета Федерации”. イタルタス通信. (2019年9月25日) 2019年9月25日閲覧。
参考文献
外部リンク
- 公式ホームページ(英語)
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