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2020年8月5日 (水) 03:43時点における版
山内 確三郎(やまのうち かくさぶろう、1871年8月2日 - 1947年1月20日)は、日本の司法官。司法次官、東京控訴院院長。族籍は東京府平民[1]。法学博士[1]。
経歴
福岡県嘉穂郡内野村(現在の飯塚市)に生まれる[1]。山内潜吉の三男[1]。福岡県立尋常中学修猷館、旧制第一高等学校を経て、1898年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年、司法官補として東京区裁判所詰となる。
1901年、大阪地方裁判所判事、1904年、大阪地方裁判所部長、1905年、神戸地方裁判所部長、同年、大阪控訴院判事、1907年、東京地方裁判所部長、同年、東京控訴院判事を経て、1908年、司法省参事官となる。1915年からは大審院検事も兼務し、1918年には法学博士の学位を授与されている。
1919年、司法省民事局長を経て、1921年10月、司法次官に就任する。1924年、東京控訴院院長を務めた後に退官して弁護士登録し、その後日本大学教授などを務める。
1926年には福岡10区の衆議院補欠選挙に立憲政友会から出馬し当選している[2]。