「クラウス・オストヴァルト」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m →外部リンク |
Rain night-AWB (会話 | 投稿記録) m テンプレート修正 using AWB |
||
23行目: | 23行目: | ||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
*{{FIS|S=JP}} |
*{{FIS|S=JP}} |
||
* {{Olympedia}} |
|||
*{{SportsReference|os/klaus-ostwald-1}} |
|||
{{DEFAULTSORT:おすとうあると くらうす}} |
{{DEFAULTSORT:おすとうあると くらうす}} |
2020年7月11日 (土) 02:28時点における最新版
獲得メダル | ||
---|---|---|
東ドイツ | ||
男子 スキージャンプ | ||
ノルディックスキー世界選手権 | ||
銀 | 1984 Engelberg | 団体 |
銅 | 1985 Seefeld | 団体 |
スキーフライング世界選手権 | ||
金 | 1983 Harrachov | 個人 |
クラウス・オストヴァルト(Klaus Ostwald、1958年8月26日 - )は、ドイツ、ザクセン州フォークトラント郡バート・エルスター(w:en:Bad Elster)出身の元スキージャンプ選手。クリンゲンタールスキークラブ(w:de:SC Dynamo Klingenthal)に所属し1970年代末から1980年代にかけて東ドイツ代表として活躍した。
プロフィール
[編集]1979/80シーズンのジャンプ週間で総合4位と好成績をあげ、1980年のレークプラシッドオリンピックでは90m級に出場、15位となった。 1982年の世界選手権では70m級16位、90m級では4位入賞し、団体戦でも4位となった。 1983年のスキーフライング世界選手権(チェコスロバキア、ハラコフ)では183m飛ぶなどして金メダルを獲得した。 1983/84シーズンのジャンプ週間ではイェンス・バイスフロクに次ぐ総合2位(自己最高位)となり、1984年サラエボオリンピックでは70m級個人13位、90m級個人26位、世界選手権の団体戦で銀メダルを獲得した。 翌1984/85シーズンのジャンプ週間で総合3位、1985年ノルディックスキー世界選手権では70m級6位、90m級11位、団体戦で銅メダルを獲得した。
スキージャンプ・ワールドカップでは通算2勝(2位3回3位4回)、総合では1983/84シーズンに7位となったのが最高位である。
1987年に現役引退した。
外部リンク
[編集]- クラウス・オストヴァルト - 国際スキー連盟のプロフィール
- クラウス・オストヴァルト - Olympedia