「即位」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
+複数の問題
天神地祇、登極令と封禅について
11行目: 11行目:


== 日本における即位 ==
== 日本における即位 ==
『[[大宝律令|大宝令]]』や『[[養老律令|養老令]]』などの規定には「およそ天皇位に即きたまはば、すべて[[天神]][[地祇]]を祭れ」とあるが、これは[[大嘗祭]]のことを指した。令における[[践祚]]については[[833年]]([[天長]]10年)成立の『[[令義解]]』に「天皇の位に即きたまふ、これを践祚といふ」と説明している。先帝の譲位または[[崩御]]にあたって新帝はまず[[三種の神器]]を受けて践祚し、その後に日を選んで大嘗祭を行って神祇百官に布告する。その後さらに[[即位の礼]]を行い[[天下]]に自分が天皇の位を継いだことを内外に示す。すなわち'''即位'''([[和訓]]:あまつひつぎしろしめす)とは新帝が[[天皇]]の位についたことを意味し、即位と践祚は同義であったが、後の[[桓武天皇]]以後で[[即位の礼]]を行事として分離するようになったことから践祚と即位は区別されるようになった。天皇としての在位は践祚に始まると解釈できる。即位の礼は践祚後すぐに行われていたとは限らず、さまざまな事情で数年を要した例がある(詳細は[[即位の礼]]を参照)。
『[[大宝律令|大宝令]]』や『[[養老律令|養老令]]』などの規定には「およそ天皇位に即きたまはば、すべて[[天津神・国津神#概要|天神地祇]]を祭れ」とあるが、これは[[大嘗祭]]のことを指した。令における[[践祚]]については[[833年]]([[天長]]10年)成立の『[[令義解]]』に「天皇の位に即きたまふ、これを践祚といふ」と説明している。先帝の譲位または[[崩御]]にあたって新帝はまず[[三種の神器]]を受けて践祚し、その後に日を選んで大嘗祭を行って神祇百官に布告する。その後さらに[[即位の礼]]を行い[[天下]]に自分が天皇の位を継いだことを内外に示す。すなわち'''即位'''([[和訓]]:あまつひつぎしろしめす)とは新帝が[[天皇]]の位についたことを意味し、即位と践祚は同義であったが、後の[[桓武天皇]]以後で[[即位の礼]]を行事として分離するようになったことから践祚と即位は区別されるようになった。天皇としての在位は践祚に始まると解釈できる。即位の礼は践祚後すぐに行われていたとは限らず、さまざまな事情で数年を要した例がある(詳細は[[即位の礼]]を参照)。


即位を「日嗣(ひつぎ)」と呼ぶことがある。[[出雲国造家]]では代がわりの際にこれに倣った「火継式」と呼ばれる神火を受け継ぐ儀式が行われている。
即位を「日嗣(ひつぎ)」と呼ぶことがある。[[出雲国造家]]では代がわりの際にこれに倣った「火継式」と呼ばれる神火を受け継ぐ儀式が行われている。
24行目: 24行目:
* [[践祚]]
* [[践祚]]
* [[即位の礼]]
* [[即位の礼]]
* [[登極令]]
* [[戴冠式]]
* [[戴冠式]]
* [[封禅]]


{{戴冠式}}
{{戴冠式}}

2020年1月8日 (水) 20:13時点における版

即位の礼に臨む昭和天皇
即位礼正殿の儀にて高御座に立つ天皇(当時)明仁

即位(そくい)とは位に即(つ)いて皇帝・天皇・国王など君主に成ること。死去または退位した皇帝国王などの位を継承し君主に成る場合が多い。君主の息子や弟が皇太子(王太子)や皇太弟(王太弟)に就任し、先代君主が死去した後に継ぐことがある。最大の式典という意味の「大典(たいてん)」の語を以て即位を指す(反対語は君主の死と葬儀を指す「大喪」)。

即位に際して儀式を執り行うことも多く、戴冠式(即位式)と呼ばれる。一般的に即位時期に合わせて行われるが、国内の政情不安や先代君主への服喪、財政難などを理由に数年後に実施されることもある。

日本における即位

大宝令』や『養老令』などの規定には「およそ天皇位に即きたまはば、すべて天神地祇を祭れ」とあるが、これは大嘗祭のことを指した。令における践祚については833年天長10年)成立の『令義解』に「天皇の位に即きたまふ、これを践祚といふ」と説明している。先帝の譲位または崩御にあたって新帝はまず三種の神器を受けて践祚し、その後に日を選んで大嘗祭を行って神祇百官に布告する。その後さらに即位の礼を行い天下に自分が天皇の位を継いだことを内外に示す。すなわち即位和訓:あまつひつぎしろしめす)とは新帝が天皇の位についたことを意味し、即位と践祚は同義であったが、後の桓武天皇以後で即位の礼を行事として分離するようになったことから践祚と即位は区別されるようになった。天皇としての在位は践祚に始まると解釈できる。即位の礼は践祚後すぐに行われていたとは限らず、さまざまな事情で数年を要した例がある(詳細は即位の礼を参照)。

即位を「日嗣(ひつぎ)」と呼ぶことがある。出雲国造家では代がわりの際にこれに倣った「火継式」と呼ばれる神火を受け継ぐ儀式が行われている。

現在の皇室典範では践祚と即位が再び統合されており、この二つを一概に即位として扱って区別は行わない。即位の礼は即位(従前の践祚に相当)直後ではなく1年以上後に行うきまりである(上皇明仁は、即位から1年10ヶ月後に即位の礼が行われた)。

関連項目