「パウル・リンケ」の版間の差分
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'''パウル・リンケ'''('''Paul Lincke'''、[[1866年]][[11月7日]] - [[1946年]][[9月4日]])は[[ドイツ]]の[[オペレッタ]]の[[作曲家]]である。ドイツでは「ベルリン・オペレッタの父」と呼ばれている。『'''ベルリンの空気'''』('''ベルリンの風'''、'''ベルリンの大気'''とも。''[[:de:Berliner Luft (Paul-Lincke-Lied)|Berliner Luft]]'')は、 |
'''パウル・リンケ'''('''Paul Lincke'''、[[1866年]][[11月7日]] - [[1946年]][[9月4日]])は、[[ドイツ]]の[[オペレッタ]]の[[作曲家]]である。ドイツでは「[[ベルリン]]・オペレッタの父」と呼ばれている。 |
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『'''ベルリンの空気'''』('''ベルリンの風'''、'''ベルリンの大気'''とも。''[[:de:Berliner Luft (Paul-Lincke-Lied)|Berliner Luft]]'')は、ベルリンの非公式の「市歌」となっている。 |
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== 生涯 == |
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ベルリンの様々な劇場で活躍し、また自らの作品のためアポロ出版(Apollo-Verlag)を設立している<ref>http://www.theatertexte.de/data/apolloverlag_paul_lincke/show_verlagsportrait</ref>。[[1941年]]の誕生日には[[ベルリン]]市から名誉市民の称号が贈られた<ref>http://www.parlament-berlin.de/de/Das-Haus/Berliner-Ehrenbuerger/Paul-Lincke?open&ref=9BV9PW136SHEQ</ref>。[[1946年]]に{{仮リンク|ハーネンクレー=ボックスヴィーゼ|label=ハーネンクレー|de|Hahnenklee-Bockswiese}}にて他界した。なおベルリンには現在、彼の名を冠する通りがある ([[:de:Paul-Lincke-Ufer|Paul-Lincke-Ufer]])。 |
ベルリンの様々な劇場で活躍し、また自らの作品のためアポロ出版(Apollo-Verlag)を設立している<ref>http://www.theatertexte.de/data/apolloverlag_paul_lincke/show_verlagsportrait</ref>。[[1941年]]の誕生日には[[ベルリン]]市から名誉市民の称号が贈られた<ref>http://www.parlament-berlin.de/de/Das-Haus/Berliner-Ehrenbuerger/Paul-Lincke?open&ref=9BV9PW136SHEQ</ref>。[[1946年]]に{{仮リンク|ハーネンクレー=ボックスヴィーゼ|label=ハーネンクレー|de|Hahnenklee-Bockswiese}}にて他界した。なおベルリンには現在、彼の名を冠する通りがある ([[:de:Paul-Lincke-Ufer|Paul-Lincke-Ufer]])。 |
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『ベルリンの空気』は、オペレッタ『'''ルナ夫人'''』([[:de:Frau Luna|Frau Luna]]。[[1899年]])からとられている。このオペレッタはベルリンっ子の冒険家一団が熱気球で月世界に行き、ルナ夫人こと月世界の王妃の宮廷で歓待されるという筋書きのものである。 |
『ベルリンの空気』は、オペレッタ『'''ルナ夫人'''』([[:de:Frau Luna|Frau Luna]]。[[1899年]])からとられている。このオペレッタはベルリンっ子の冒険家一団が[[熱気球]]で月世界に行き、ルナ夫人こと月世界の王妃の宮廷で歓待されるという筋書きのものである。 |
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その他のオペレッタには『インドラの王国』(Reich des Indra)や『リュジストラータ』(Lysistrata)などがある。なお『リュジストラータ』のアリエッタ「Glühwürmchen」は[[1940年]]にジョニー・マーサーにより翻訳され、「Glow Little Glow Worm」の名で[[ミルズ・ブラザーズ]]などにより演奏されて英語圏でも親しまれた。このほかにもリンケのオペレッタに登場する行進曲や[[ワルツ]]は単独で、あるいは[[メドレー]]のような形の編曲で親しまれている。 |
その他のオペレッタには『インドラの王国』(Reich des Indra)や『リュジストラータ』(Lysistrata)などがある。なお『リュジストラータ』のアリエッタ「Glühwürmchen」は[[1940年]]に[[ジョニー・マーサー]]により翻訳され、「Glow Little Glow Worm」の名で[[ミルズ・ブラザーズ]]などにより演奏されて英語圏でも親しまれた。このほかにもリンケのオペレッタに登場する行進曲や[[ワルツ]]は単独で、あるいは[[メドレー]]のような形の編曲で親しまれている。 |
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== 作品一覧 == |
== 作品一覧 == |
2019年9月22日 (日) 12:10時点における版
パウル・リンケ Paul Lincke | |
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基本情報 | |
生誕 |
1866年11月7日 ドイツ連邦、ベルリン |
死没 |
1946年9月4日(79歳没) 連合国軍占領下のドイツ、ハーネンクレー |
ジャンル | オペレッタ |
職業 | 作曲家 |
パウル・リンケ(Paul Lincke、1866年11月7日 - 1946年9月4日)は、ドイツのオペレッタの作曲家である。ドイツでは「ベルリン・オペレッタの父」と呼ばれている。 『ベルリンの空気』(ベルリンの風、ベルリンの大気とも。Berliner Luft)は、ベルリンの非公式の「市歌」となっている。
生涯
ベルリンの様々な劇場で活躍し、また自らの作品のためアポロ出版(Apollo-Verlag)を設立している[1]。1941年の誕生日にはベルリン市から名誉市民の称号が贈られた[2]。1946年にハーネンクレーにて他界した。なおベルリンには現在、彼の名を冠する通りがある (Paul-Lincke-Ufer)。
『ベルリンの空気』は、オペレッタ『ルナ夫人』(Frau Luna。1899年)からとられている。このオペレッタはベルリンっ子の冒険家一団が熱気球で月世界に行き、ルナ夫人こと月世界の王妃の宮廷で歓待されるという筋書きのものである。
その他のオペレッタには『インドラの王国』(Reich des Indra)や『リュジストラータ』(Lysistrata)などがある。なお『リュジストラータ』のアリエッタ「Glühwürmchen」は1940年にジョニー・マーサーにより翻訳され、「Glow Little Glow Worm」の名でミルズ・ブラザーズなどにより演奏されて英語圏でも親しまれた。このほかにもリンケのオペレッタに登場する行進曲やワルツは単独で、あるいはメドレーのような形の編曲で親しまれている。
作品一覧
オペレッタ
- 地上のヴィーナス(Venus auf Erden。ベルリン 1897年)
- ルナ夫人(Frau Luna。ベルリン 1899年)
- インドラの王国(Im Reiche des Indra。ベルリン 1899年)
- リュジストラータ(Lysistrata。ベルリン 1902年)
- グリグリ(grigri。1911年)
- カサノヴァ(Casanova。ダルムシュタット 1913年)
- 愛の夢(Ein Liebestraum。ハンブルク 1940年)
歌つきの舞曲
- Schenk' mir doch ein kleines bißchen Liebe
- Bis früh um fünfe, kleine Maus
- Schlösser, die im Monde liegen
- Glühwürmchen
- Berliner Luft
外部リンク
- Anton Würz: Lincke, Paul. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 14, Duncker & Humblot, Berlin 1985, ISBN 3-428-00195-8, S. 572 f. (電子テキスト版).
- リンケ、パウル