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[[1922年]]([[大正]]11年)[[7月5日]]、名古屋市は隣接5町村を含む区域を名古屋都市計画区域として定めた。次いで[[1926年]][[1月28日]]、同区域内を対象として「名古屋都市計画公園」と名付けた公園計画を策定したが、これは今後市街地の拡大とともに進展する区画整理事業に先がけて区域内に公園を設置し、緑地を確保することを目的とするものであり、このとき松葉公園は建設を予定する都市計画公園の25あるうちの1つとして位置付けられた(5号公園、面積5.94ha当時の名称は篠原)。 |
[[1922年]]([[大正]]11年)[[7月5日]]、名古屋市は隣接5町村を含む区域を名古屋都市計画区域として定めた。次いで[[1926年]][[1月28日]]、同区域内を対象として「名古屋都市計画公園」と名付けた公園計画を策定したが、これは今後市街地の拡大とともに進展する区画整理事業に先がけて区域内に公園を設置し、緑地を確保することを目的とするものであり、このとき松葉公園は建設を予定する都市計画公園の25あるうちの1つとして位置付けられた(5号公園、面積5.94ha当時の名称は篠原)。 |
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1933年(昭和8年)12月23日に[[明仁|皇太子明仁]](当時)が誕生し、全国の自治体に御内帑金<!--ごないどきん-->が分配された<ref name="中日新聞本社社会部p207"/>。皇太子殿下の御降誕を祝福し記念するために、名古屋市は1934年(昭和9年)2月20日に皇太子殿下御降誕記念事業調査臨時委員会を設置し<ref name="名古屋の公園の100年p69">『名古屋の公園の100年』2010年、p. 69</ref>、10か所の公園を造成することを決定した<ref name="中日新聞本社社会部p207"/>。1937年(昭和12年)[[9月28日]]に名古屋市会で議決され、1937年から総事業費50万円の3か年継続事業で着手された<ref name="名古屋の公園の100年p69"/>。松葉公園、[[上名古屋公園]]、[[港北公園]]、[[児玉公園]]、[[小碓公園]]、[[大幸公園]]、[[道徳公園]]、[[白水公園]]、[[八熊公園]]の計9公園が記念事業で建設されている。<ref name="名古屋の公園の100年p70">『名古屋の公園の100年』2010年、p. 70</ref>、<ref name="名古屋の公園の100年p29">『名古屋の公園の100年』2010年、p. 29</ref>。翌[[1938年]][[8月2日]]、篠原土地区画整理組合と四娘子土地区画整理組合から用地の寄付を受け、名古屋市による公園の建設工事が行われ、3年後の[[1941年]][[4月1日]]に公園が開園した。 |
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なお計画された公園のうち、もっとも早く完成したのは松葉公園であるが、1937年度(昭和12年度)から1942年度(昭和17年度)までに他の8公園も相次いで完成している |
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1970年(昭和45年)6月20日、松葉公園内に[[名古屋市中川図書館]]が開館した<ref>名古屋市鶴舞中央図書館『名古屋市図書館年報 1971』名古屋市鶴舞中央図書館、1971年、p. 2</ref>。当時は中川図書館が中川区唯一の文化センターだったとされる<ref>『図書館なごや 名古屋市立図書館報』1971年、40号、p. 2</ref>。 |
1970年(昭和45年)6月20日、松葉公園内に[[名古屋市中川図書館]]が開館した<ref>名古屋市鶴舞中央図書館『名古屋市図書館年報 1971』名古屋市鶴舞中央図書館、1971年、p. 2</ref>。当時は中川図書館が中川区唯一の文化センターだったとされる<ref>『図書館なごや 名古屋市立図書館報』1971年、40号、p. 2</ref>。 |
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1933年(昭和8年)12月23日には[[明仁|皇太子明仁]](当時)が誕生し、全国の自治体に御内帑金<!--ごないどきん-->が分配された<ref name="中日新聞本社社会部p207"/>。皇太子殿下の御降誕を祝福し記念するために、名古屋市は1934年(昭和9年)2月20日に皇太子殿下御降誕記念事業調査臨時委員会を設置し<ref name="名古屋の公園の100年p69">『名古屋の公園の100年』2010年、p. 69</ref>、10か所の公園を造成することを決定した<ref name="中日新聞本社社会部p207"/>。1937年(昭和12年)9月28日に名古屋市会で議決され、1937年から総事業費50万円の3か年継続事業で着手された<ref name="名古屋の公園の100年p69"/>。松葉公園、[[上名古屋公園]]、[[港北公園]]、〇〇公園、[[小碓公園]]、[[大幸公園]]、[[道徳公園]]、[[白水公園]]、[[八熊公園]]の計9公園が記念事業で建設されており<ref name="名古屋の公園の100年p70">『名古屋の公園の100年』2010年、p. 70</ref>、もっとも早く完成したのは松葉公園であるが、1937年度(昭和12年度)から1942年度(昭和17年度)までに他の8公園も相次いで完成している<ref name="名古屋の公園の100年p29">『名古屋の公園の100年』2010年、p. 29</ref>。 |
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松葉公園の名称はかつてこの地域にあった松葉村に由来しており、園内には[[マツ]]の木も植えられている<ref name="中日新聞本社社会部p207">中日新聞本社社会部、1987年、p. 207</ref>。 |
松葉公園の名称はかつてこの地域にあった松葉村に由来しており、園内には[[マツ]]の木も植えられている<ref name="中日新聞本社社会部p207">中日新聞本社社会部、1987年、p. 207</ref>。 |
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2019年8月10日 (土) 06:22時点における版
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松葉公園 | |
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所在地 | |
座標 | 北緯35度08分29.8秒 東経136度52分11.3秒 / 北緯35.141611度 東経136.869806度座標: 北緯35度08分29.8秒 東経136度52分11.3秒 / 北緯35.141611度 東経136.869806度 |
アクセス | 名古屋市バス「松葉公園前」下車すぐ[1] |
公式サイト | 松葉公園 |
松葉公園(まつばこうえん)は、愛知県名古屋市中川区太平通1丁目にある公園。
歴史
1922年(大正11年)7月5日、名古屋市は隣接5町村を含む区域を名古屋都市計画区域として定めた。次いで1926年1月28日、同区域内を対象として「名古屋都市計画公園」と名付けた公園計画を策定したが、これは今後市街地の拡大とともに進展する区画整理事業に先がけて区域内に公園を設置し、緑地を確保することを目的とするものであり、このとき松葉公園は建設を予定する都市計画公園の25あるうちの1つとして位置付けられた(5号公園、面積5.94ha当時の名称は篠原)。
1933年(昭和8年)12月23日に皇太子明仁(当時)が誕生し、全国の自治体に御内帑金が分配された[2]。皇太子殿下の御降誕を祝福し記念するために、名古屋市は1934年(昭和9年)2月20日に皇太子殿下御降誕記念事業調査臨時委員会を設置し[3]、10か所の公園を造成することを決定した[2]。1937年(昭和12年)9月28日に名古屋市会で議決され、1937年から総事業費50万円の3か年継続事業で着手された[3]。松葉公園、上名古屋公園、港北公園、児玉公園、小碓公園、大幸公園、道徳公園、白水公園、八熊公園の計9公園が記念事業で建設されている。[4]、[5]。翌1938年8月2日、篠原土地区画整理組合と四娘子土地区画整理組合から用地の寄付を受け、名古屋市による公園の建設工事が行われ、3年後の1941年4月1日に公園が開園した。
なお計画された公園のうち、もっとも早く完成したのは松葉公園であるが、1937年度(昭和12年度)から1942年度(昭和17年度)までに他の8公園も相次いで完成している
1970年(昭和45年)6月20日、松葉公園内に名古屋市中川図書館が開館した[6]。当時は中川図書館が中川区唯一の文化センターだったとされる[7]。
園内設備
総面積は約3ヘクタール[1]。かつて中川図書館があった場所の南側には、八重咲のコブクザクラが3本植わっている[8]。コブクザクラは一般的な桜とは異なり、10月から1月に開花し、また春にも再び開花する性質を持つ[8]。
池
池には昔ボートが存在した。そのため、ボート池と呼ばれていた[9][10]。
噴水
1983年(昭和58年)に、岐阜県恵那地方産サビ系花崗岩で作られている[11][9][10]。
テニスコート
1960年(昭和35年)から始まった復旧作業により、整備された[11][10]。
野球場
1960年(昭和35年)にテニスコートと同様に整備された。完成後、サツマイモをはじめとする野菜生産の場として利用されていた[11][10]。
ステージ
ラジオ塔
1930年頃から太平洋戦争中にかけて、全国の公園などにラジオを流す拠点としてラジオ塔が設置された[12]、全国で約460か所にあったとされ[13]、2017年時点で名古屋市では3か所に現存している[12]。
現地情報
所在地
〒454-0838愛知県名古屋市中川区太平通1丁目
アクセス
関連項目
松葉公園の名称はかつてこの地域にあった松葉村に由来しており、園内にはマツの木も植えられている[2]。
1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風では松葉公園も大きな被害を受けており、園内の樹木の大半が倒壊した[2]。1987年(昭和62年)時点ではマツ、クス、カシなど90余種の樹木が植えられているが[14]、開園時から残る樹木は正面入口付近のクス程度だけだという[15]。
脚注
- ^ a b c “松葉公園”. 名古屋市. 2019年8月10日閲覧。
- ^ a b c d 中日新聞本社社会部、1987年、p. 207
- ^ a b 『名古屋の公園の100年』2010年、p. 69
- ^ 『名古屋の公園の100年』2010年、p. 70
- ^ 『名古屋の公園の100年』2010年、p. 29
- ^ 名古屋市鶴舞中央図書館『名古屋市図書館年報 1971』名古屋市鶴舞中央図書館、1971年、p. 2
- ^ 『図書館なごや 名古屋市立図書館報』1971年、40号、p. 2
- ^ a b 「初冬を清そに 子福桜花開く 中川区の松葉公園 春とは違った風情」『中日新聞』1991年12月24日
- ^ a b 「中川区制施行50周年記念誌編集委員会」『中川区史』1987年 p95
- ^ a b c d 「名古屋市計画局」『なごやの町名』1992年 p468
- ^ a b c 「中日新聞本社社会部(編)」『なごや新三百景』1987年 p207
- ^ a b 「ラジオ塔前 平和願い体操 戦時中設置 志賀公園に現存」『中日新聞』2017年12月24日
- ^ 「ラジオ塔 戦争語り継ぐ 北区・志賀公園 住民ら現存再認識『残したい』」『中日新聞』2017年2月25日
- ^ 『中川区史』1987年、p. 6
- ^ 『中川区史』1987年、p. 95
参考文献
- 『中川図書館20年のあゆみ』名古屋市中川図書館、1991年
- 『名古屋市鶴舞中央図書館七十年史 1923〜1993』名古屋市鶴舞中央図書館、1993年
- 地域計画・建築研究所『中川運河地区快適環境づくり』名古屋市、1986年
- 港区制施行五十周年記念事業実行委員会『名古屋市港区誌 : 区制五十周年記念』名古屋市港区役所
- 名古屋の公園100年のあゆみ編集委員会『名古屋の公園100年のあゆみ』名古屋市、2010年
- 角川書店『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年
- 名古屋の公園100年のあゆみ編集委員会『名古屋の公園100年のあゆみ』名古屋市、名古屋市みどりの協会、2010年
- 中日新聞本社社会部『なごや新三百景』中日新聞本社、1987年
- 小橋竜雄『名古屋南部史』片岡英三、1987年
- 名古屋市緑政土木局緑地部緑地推進課『名古屋のみどり』2011年
- 『東区誌』東区総合庁舎建設後援会、1973年
- 西区制70周年記念誌編纂委員会『西区70年のあゆみ』名古屋市西区役所、1978年
- 青木公彦『名古屋都市公園緑地等の歴史(戦後~昭和44年)』名古屋都市計画史編集実行委員会、2017年
- 山田寂雀『中川区史跡散策路』名古屋市中川区役所、2012年
- 中川区制施行50周年記念誌編集委員会『中川区史』名古屋市中川区役所、1987年
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、松葉公園に関するカテゴリがあります。
- 松葉公園 名古屋市
- 松葉公園管理運営方針