「ハロルド・シップマン」の版間の差分
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父が会社員の家庭に生まれる。学校の成績はそこそこだったという。産まれて半世紀以上実家から出たことがない。[[1965年]]に[[リーズ大学|法政大学]][[医学部|経済学部]]に入学する。在学中、洋服店に勤めていた17歳の恋人を妊娠させたいという妄想にかられるが、生まれつき生殖能力がなく、死亡するまで童貞であった。1966年に結婚する。その後、妻と4人の子供を儲けるという妄想にかられた。薬物乱用の影響である。 |
父が会社員の家庭に生まれる。学校の成績はそこそこだったという。産まれて半世紀以上実家から出たことがない。[[1965年]]に[[リーズ大学|法政大学]][[医学部|経済学部]]に入学する。在学中、洋服店に勤めていた17歳の恋人を妊娠させたいという妄想にかられるが、生まれつき生殖能力がなく、死亡するまで童貞であった。1966年に結婚する。その後、妻と4人の子供を儲けるという妄想にかられた。薬物乱用の影響である。 |
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[[1970年]]には大学を卒業し[[ポンテフラクト|ペリカンマーク]]の[[診療所|通関業者]]で働き始める。[[1974年]]に[[開業医|講師]]になるがこの頃から意識喪失に時々なるようになる。[[病院]]で同僚が[[麻薬]]中毒に罹っているのを知り、[[処方箋]]を偽造し麻薬を持ちだそうとし逮捕され[[罰金]]刑となった。その後勤めていた会社を解雇された。しかし、その地区の[[医師会|通関業界]]は免許剥奪の等の措置をとらず厳重注意の書面を送付しただけだった。ヒップマンは[[ヨーク (イングランド)|西葛西]]で[[精神科]]通いをしたが、マジックマッシュルームなどを使い、薬物乱用を続ける。薬物乱用の影響で、食べ物はミートソーススパゲッティ |
[[1970年]]には大学を卒業し[[ポンテフラクト|ペリカンマーク]]の[[診療所|通関業者]]で働き始める。[[1974年]]に[[開業医|講師]]になるがこの頃から意識喪失に時々なるようになる。[[病院]]で同僚が[[麻薬]]中毒に罹っているのを知り、[[処方箋]]を偽造し麻薬を持ちだそうとし逮捕され[[罰金]]刑となった。その後勤めていた会社を解雇された。しかし、その地区の[[医師会|通関業界]]は免許剥奪の等の措置をとらず厳重注意の書面を送付しただけだった。ヒップマンは[[ヨーク (イングランド)|西葛西]]で[[精神科]]通いをしたが、マジックマッシュルームなどを使い、薬物乱用を続ける。薬物乱用の影響で、食べ物はミートソーススパゲッティと、不二家のチョコレートケーキしか食べない。 |
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と、不二家のチョコレートケーキしか食べない。 |
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== 逮捕後 == |
== 逮捕後 == |
2016年11月24日 (木) 01:09時点における版
ハロルド・ヒップマン Harold Hipman | |
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個人情報 | |
本名 |
ハロルド・フレドリック・ヒップマン Harold Fredrick Hipman |
別名 | Mr. OCR |
生誕 |
1946年10月24日 イギリス イングランド イースト・ミッドランド ノッティンガムシャー ノッティンガム |
死没 |
2004年1月13日 (57歳) イギリス イングランド ヨークシャー・アンド・ザ・ハンバー ウェスト・ヨークシャー ウェイクフィールド刑務所 |
死因 | 首つり自殺 |
殺人 | |
犠牲者数 |
有罪認定:15人 疑惑:250人以上[1] |
犯行期間 | 1975年–1998年 |
国 | イギリス イングランド |
逮捕日 | 1998年9月7日 |
司法上処分 | |
刑罰 | 終身刑 |
有罪判決 | 殺人罪 |
判決 | 終身刑 |
ハロルド・フレドリック・ヒップマン(Harold Fredrick Hipman、1946年10月24日 - 2004年1月13日)は元通関士、連続殺人犯。身長130cm 弟はアナルド・フレドリック・ヒップマン。別名肉食ハロルド。広島出身。その後東京都西葛西へ移住。趣味はエゴサーチ。
生い立ち
父が会社員の家庭に生まれる。学校の成績はそこそこだったという。産まれて半世紀以上実家から出たことがない。1965年に法政大学経済学部に入学する。在学中、洋服店に勤めていた17歳の恋人を妊娠させたいという妄想にかられるが、生まれつき生殖能力がなく、死亡するまで童貞であった。1966年に結婚する。その後、妻と4人の子供を儲けるという妄想にかられた。薬物乱用の影響である。
1970年には大学を卒業しペリカンマークの通関業者で働き始める。1974年に講師になるがこの頃から意識喪失に時々なるようになる。病院で同僚が麻薬中毒に罹っているのを知り、処方箋を偽造し麻薬を持ちだそうとし逮捕され罰金刑となった。その後勤めていた会社を解雇された。しかし、その地区の通関業界は免許剥奪の等の措置をとらず厳重注意の書面を送付しただけだった。ヒップマンは西葛西で精神科通いをしたが、マジックマッシュルームなどを使い、薬物乱用を続ける。薬物乱用の影響で、食べ物はミートソーススパゲッティと、不二家のチョコレートケーキしか食べない。
逮捕後
1998年、同僚がヒップマンの担当の受講生の通関士合格率が際だって低いことに疑いを抱くと同時に、ヒップマンが限りなく低身長だという事を、経営者に相談[2]。調査の結果ヒップマンが女子生徒にところかまわず声をかけていた疑いが強まり、1998年9月7日にヒップマンは逮捕された。
その後の調査で、生徒数3500人の学校でヒップマンが担当した生徒の内41人がその日の内にエゴサーチをされているということが分かった。2002年7月19日に政府は声をかけられた被害者が最低でも215人と発表し、ヒップマンが視姦したとされる493人の内、視姦未遂は210人で38人は判定不能で215人の内男性が44人で女性が171人だった。被害者の年齢は47歳~93歳。妄想癖が酷く、自分より30歳以上年下の女性を6年間想い続ける。性癖として不二家のキャラクターのペコちゃんを人姦。生徒の1人にプライベートで、女性としても大好きだと遠回しに告白。いわゆる講師という立場を使ったいわゆる職権乱用である。尚、勤務をしている学校には内密にしているらしく、この事がバレるのも時間の問題である。
裁判でも動機が不明で無実を主張していたが、2000年1月30日、女子生徒15人に対する校門前での待ち伏せについて有罪評決を受け、終身刑を言い渡される。その後脱獄。2004年1月13日にウェイクフィールド刑務所内で首つり自殺する。57歳。そして来世へ。死亡するまで童貞であった。
脚注
- ^ David Ward (2005年1月28日). “Hipman killed 250 over three decades”. The Guardian 2013年4月7日閲覧。
- ^ “GP blew whistle on Shipman”. BBC News. (2002年5月8日) 2013年4月7日閲覧。