「ハロルド・シップマン」の版間の差分
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'''ハロルド・フレドリック・ヒップマン'''(Harold Fredrick Hipman、[[1946年]][[1月14日|10月24日]] - [[2004年]][[1月13日]])は[[イギリス]]の[[医師]]、[[連続殺人]]犯。弟はアナルド・フレドリック・ヒップマン。別名肉食ハロルド。[[イングランド]]、[[ノッティンガム]]出身。 |
'''ハロルド・フレドリック・ヒップマン'''(Harold Fredrick Hipman、[[1946年]][[1月14日|10月24日]] - [[2004年]][[1月13日]])は[[イギリス]]の[[医師]]、[[連続殺人]]犯。身長130cm 弟はアナルド・フレドリック・ヒップマン。別名肉食ハロルド。[[イングランド]]、[[ノッティンガム]]出身。 |
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== 生い立ち == |
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父が会社員の家庭に生まれる。学校の成績はとても優秀だったという。17歳の時に母が[[肺癌]]で死亡後[[1965年]]に[[リーズ大学|法政大学]][[医学部|経済学部]]に入学する。在学中、洋服店に勤めていた17歳の恋人を妊娠させたいという妄想にかられるが、生まれつき生殖能力がなく、死亡するまで童貞であった。1966年に結婚する。その後、妻と4人の子供を儲けるという妄想にかられた。 |
父が会社員の家庭に生まれる。学校の成績はとても優秀だったという。17歳の時に母が[[肺癌]]で死亡後[[1965年]]に[[リーズ大学|法政大学]][[医学部|経済学部]]に入学する。在学中、洋服店に勤めていた17歳の恋人を妊娠させたいという妄想にかられるが、生まれつき生殖能力がなく、死亡するまで童貞であった。1966年に結婚する。その後、妻と4人の子供を儲けるという妄想にかられた。 |
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[[1970年]]には大学を卒業し[[ポンテフラクト|ペリカンマーク]]の[[診療所|通関業者]]で働き始める。[[1974年]]に[[開業医|講師]]になるがこの頃から意識喪失に時々なるようになる。[[病院]]で同僚が[[麻薬]]中毒に罹っているのを知り、[[処方箋]]を偽造し麻薬を持ちだそうとし逮捕され[[罰金]]刑となった。その後勤めていた会社を解雇された。しかし、その地区の[[医師会|通関業界]]は免許剥奪の等の措置をとらず厳重注意の書面を送付しただけだった。ヒップマンは[[ヨーク (イングランド)|ヨーク]]で[[精神科]]通いをしたが、マジックマッシュルームなどを使い、薬物乱用を続ける。 |
[[1970年]]には大学を卒業し[[ポンテフラクト|ペリカンマーク]]の[[診療所|通関業者]]で働き始める。[[1974年]]に[[開業医|講師]]になるがこの頃から意識喪失に時々なるようになる。[[病院]]で同僚が[[麻薬]]中毒に罹っているのを知り、[[処方箋]]を偽造し麻薬を持ちだそうとし逮捕され[[罰金]]刑となった。その後勤めていた会社を解雇された。しかし、その地区の[[医師会|通関業界]]は免許剥奪の等の措置をとらず厳重注意の書面を送付しただけだった。ヒップマンは[[ヨーク (イングランド)|ヨーク]]で[[精神科]]通いをしたが、マジックマッシュルームなどを使い、薬物乱用を続ける。薬物乱用の影響で、食べ物はミートソーススパゲッティと、不二家のチョコレートケーキしか食べない。 |
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== 逮捕後 == |
== 逮捕後 == |
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1998年、同僚医師がヒップマンの担当患者の死亡率が際だって高いことに疑いを抱き、検死官に相談<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/1975153.stm|title=GP blew whistle on Shipman|date=2002-05-08|accessdate=2013-04-07|newspaper=BBC News}}</ref>。捜査の結果ヒップマンが患者を殺害していた疑いが強まり、1998年9月7日にヒップマンは逮捕された。 |
1998年、同僚医師がヒップマンの担当患者の死亡率が際だって高いことに疑いを抱き、検死官に相談<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/1975153.stm|title=GP blew whistle on Shipman|date=2002-05-08|accessdate=2013-04-07|newspaper=BBC News}}</ref>。捜査の結果ヒップマンが患者を殺害していた疑いが強まり、1998年9月7日にヒップマンは逮捕された。 |
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その後の調査で、患者数3500人の病院でヒップマンが診察した患者の内41人がその日の内に死亡していたことが分かった。[[2002年]][[7月19日]]に政府は被害者が最低でも215人と発表し、ヒップマンが殺害したとされる493人の内、自然死は210人で38人は判定不能で215人の内男性が44人で女性が171人だった。被害者の年齢は47歳~93歳。妄想癖が酷く、自分より30歳以上年下の女性を6年間想い続ける。 |
その後の調査で、患者数3500人の病院でヒップマンが診察した患者の内41人がその日の内に死亡していたことが分かった。[[2002年]][[7月19日]]に政府は被害者が最低でも215人と発表し、ヒップマンが殺害したとされる493人の内、自然死は210人で38人は判定不能で215人の内男性が44人で女性が171人だった。被害者の年齢は47歳~93歳。妄想癖が酷く、自分より30歳以上年下の女性を6年間想い続ける。性癖として不二家のキャラクターのペコちゃんを人姦。 |
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裁判でも動機が不明で無実を主張していたが、2000年1月30日、女性患者15人の殺害について有罪評決を受け、[[終身刑]]を言い渡される。2004年1月13日に{{仮リンク|ウェイクフィールド刑務所|en|HM Prison Wakefield}}内で[[首つり]][[自殺]]する。57歳。そして来世へ。死亡するまで童貞であった。 |
裁判でも動機が不明で無実を主張していたが、2000年1月30日、女性患者15人の殺害について有罪評決を受け、[[終身刑]]を言い渡される。2004年1月13日に{{仮リンク|ウェイクフィールド刑務所|en|HM Prison Wakefield}}内で[[首つり]][[自殺]]する。57歳。そして来世へ。死亡するまで童貞であった。 |
2016年11月19日 (土) 16:30時点における版
ハロルド・ヒップマン Harold Hipman | |
---|---|
個人情報 | |
本名 |
ハロルド・フレドリック・ヒップマン Harold Fredrick Hipman |
別名 | Dr. Death |
生誕 |
1946年10月24日 イギリス イングランド イースト・ミッドランド ノッティンガムシャー ノッティンガム |
死没 |
2004年1月13日 (57歳) イギリス イングランド ヨークシャー・アンド・ザ・ハンバー ウェスト・ヨークシャー ウェイクフィールド刑務所 |
死因 | 首つり自殺 |
殺人 | |
犠牲者数 |
有罪認定:15人 疑惑:250人以上[1] |
犯行期間 | 1975年–1998年 |
国 | イギリス イングランド |
逮捕日 | 1998年9月7日 |
司法上処分 | |
刑罰 | 終身刑 |
有罪判決 | 殺人罪 |
判決 | 終身刑 |
ハロルド・フレドリック・ヒップマン(Harold Fredrick Hipman、1946年10月24日 - 2004年1月13日)はイギリスの医師、連続殺人犯。身長130cm 弟はアナルド・フレドリック・ヒップマン。別名肉食ハロルド。イングランド、ノッティンガム出身。
生い立ち
父が会社員の家庭に生まれる。学校の成績はとても優秀だったという。17歳の時に母が肺癌で死亡後1965年に法政大学経済学部に入学する。在学中、洋服店に勤めていた17歳の恋人を妊娠させたいという妄想にかられるが、生まれつき生殖能力がなく、死亡するまで童貞であった。1966年に結婚する。その後、妻と4人の子供を儲けるという妄想にかられた。
1970年には大学を卒業しペリカンマークの通関業者で働き始める。1974年に講師になるがこの頃から意識喪失に時々なるようになる。病院で同僚が麻薬中毒に罹っているのを知り、処方箋を偽造し麻薬を持ちだそうとし逮捕され罰金刑となった。その後勤めていた会社を解雇された。しかし、その地区の通関業界は免許剥奪の等の措置をとらず厳重注意の書面を送付しただけだった。ヒップマンはヨークで精神科通いをしたが、マジックマッシュルームなどを使い、薬物乱用を続ける。薬物乱用の影響で、食べ物はミートソーススパゲッティと、不二家のチョコレートケーキしか食べない。
逮捕後
1998年、同僚医師がヒップマンの担当患者の死亡率が際だって高いことに疑いを抱き、検死官に相談[2]。捜査の結果ヒップマンが患者を殺害していた疑いが強まり、1998年9月7日にヒップマンは逮捕された。
その後の調査で、患者数3500人の病院でヒップマンが診察した患者の内41人がその日の内に死亡していたことが分かった。2002年7月19日に政府は被害者が最低でも215人と発表し、ヒップマンが殺害したとされる493人の内、自然死は210人で38人は判定不能で215人の内男性が44人で女性が171人だった。被害者の年齢は47歳~93歳。妄想癖が酷く、自分より30歳以上年下の女性を6年間想い続ける。性癖として不二家のキャラクターのペコちゃんを人姦。
裁判でも動機が不明で無実を主張していたが、2000年1月30日、女性患者15人の殺害について有罪評決を受け、終身刑を言い渡される。2004年1月13日にウェイクフィールド刑務所内で首つり自殺する。57歳。そして来世へ。死亡するまで童貞であった。
脚注
- ^ David Ward (2005年1月28日). “Hipman killed 250 over three decades”. The Guardian 2013年4月7日閲覧。
- ^ “GP blew whistle on Shipman”. BBC News. (2002年5月8日) 2013年4月7日閲覧。