「旧伊勢屋質店」の版間の差分

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'''旧伊勢屋質店'''(きゅういせやしちてん)は、[[東京都]][[文京区]][[本郷]]にある、[[1869年]]([[明治]]2年)創業の旧[[質屋]][[店舗]]。現在、建物の内部を一般公開している。
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== 概要 ==
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[[1869年]]([[明治]]2年)、現在地の文京区本郷に伊勢屋質店を創業。[[1887年]](明治20年)、現在の[[足立区]][[鹿浜]]にあった[[土蔵]]を移築した。[[1890年]](明治23年)、[[木造]]平屋建の[[屋敷]]棟を建築、[[1907年]](明治40年)、[[木造]]2階建の店舗を建築した。[[第二次世界大戦]]や[[東京大空襲]]にも戦災を免れている。


== 沿革 ==
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*[[1887年]](明治20年) - 足立区鹿浜にある土蔵を現在地に移築した
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*[[1890年]](明治23年) - [[土蔵]]に隣接して[[木造]]平屋建てを建築した
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;旧伊勢屋質店見世
;旧伊勢屋質店見世
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:登録年月日:[[2003年]]([[平成]]15年)1月31日、(種別:産業3次、登録基準:造形の規範となっているもの)。
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;旧伊勢屋質店土蔵
;旧伊勢屋質店土蔵
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:登録年月日:[[2003年]]([[平成]]15年)1月31日、(種別:産業3次、登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの)。


;旧伊勢屋質店の一般公開
;旧伊勢屋質店の一般公開
:建物所有者の跡見学園女子大学は、平成27年11月8日より、建物の内部を一般公開している。
:建物所有者の[[跡見学園女子大学]]は、平成27年11月8日より、建物の内部を一般公開している。
*公開日 - 土曜、日曜日(年末年始、大学行事日等を除く)
*公開日 - 土曜、日曜日(年末年始、大学行事日等を除く)
*公開時間 - 午前10時30分-午後4時
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== 交通アクセス ==
== 交通アクセス ==
*[[鉄道]]
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== ギャラリー ==
== ギャラリー ==

2015年11月27日 (金) 09:10時点における版

旧伊勢屋質店
旧伊勢屋質店の外観
(2015年11月24日撮影)
店舗概要
所在地 113-0033
東京都文京区本郷
五丁目9番4号
座標 北緯35度42分38.71秒 東経139度45分19.75秒 / 北緯35.7107528度 東経139.7554861度 / 35.7107528; 139.7554861 (旧伊勢屋質店)座標: 北緯35度42分38.71秒 東経139度45分19.75秒 / 北緯35.7107528度 東経139.7554861度 / 35.7107528; 139.7554861 (旧伊勢屋質店)
正式名称 旧伊勢屋質店
施設所有者 学校法人跡見学園
駐車台数 無し台
最寄駅 都営三田線春日駅
都営大江戸線春日駅
東京メトロ南北線後楽園駅
東京メトロ丸ノ内線後楽園駅
最寄IC 首都高速新板橋出口
外部リンク http://www.isego.jp/
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旧伊勢屋質店(きゅういせやしちてん)は、東京都文京区本郷にある、1869年明治2年)創業の旧質屋店舗。現在、建物の内部を一般公開している。

概要

1869年明治2年)、現在地の文京区本郷に伊勢屋質店を創業。1887年(明治20年)、現在の足立区鹿浜にあった土蔵を移築した。1890年(明治23年)、木造平屋建の屋敷棟を建築、1907年(明治40年)、木造2階建の店舗を建築した。第二次世界大戦東京大空襲にも戦災を免れている。

沿革

  • 年代不詳 - 1858年-1911年明治初期)、現在の足立区鹿浜に2階建の土蔵が建築された
  • 1869年(明治2年) - 現在地の文京区本郷に伊勢屋質店を創業した
  • 1887年(明治20年) - 足立区鹿浜にある土蔵を現在地に移築した
  • 1890年(明治23年) - 土蔵に隣接して木造平屋建てを建築した
  • 1907年(明治40年) - 土蔵の隣に木造2階建の質屋店舗を建築した[1]

文化財

登録有形文化財(建築物)

旧伊勢屋質店見世
1907年明治40年)建築:木造2階建、瓦葺、建築面積:63m2
文京区本郷菊坂に面して建つ。棟札より明治40年4月の上棟であることが知られ、施主、大工名(平野千代吉)も判明している。街路と平行して建ち、出桁造、開口部に格子を設ける意匠、階高の高い2階部など、明治時代町屋の姿をよく表している[2]
登録年月日:2003年平成15年)1月31日、(種別:産業3次、登録基準:造形の規範となっているもの)。
旧伊勢屋質店座敷棟
1890年明治23年)建築:木造平屋建、瓦葺、建築面積:25m2
土蔵の背面側に建ち、見世と接続している。8畳の座敷を中心に東南二方に縁を廻し、さらに南側には中庭を設ける。狭小な敷地の中で二方を中庭と庭に開いて眺望を確保するなど町屋に設けられる座敷の特徴を余すことなく備えている[3]
登録年月日:2003年平成15年)1月31日、(種別:住宅、登録基準:造形の規範となっているもの)。
旧伊勢屋質店土蔵
1858年-1911年明治初期)建築、1887年明治20年)移築:土蔵造2階建、瓦葺、建築面積:22m2
見世と並んで街路に面して建つ土蔵。売渡証から、1887年明治20年)に現在の足立区鹿浜より移築されたことがわかる。内部は総2階で一室とする。明治時代の本郷菊坂の景観を今日に伝えるとともに、近隣に住んでいた樋口一葉の日記に度々現れることでも知られている[4]
登録年月日:2003年平成15年)1月31日、(種別:産業3次、登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの)。
旧伊勢屋質店の一般公開
建物所有者の跡見学園女子大学は、平成27年11月8日より、建物の内部を一般公開している。
  • 公開日 - 土曜、日曜日(年末年始、大学行事日等を除く)
  • 公開時間 - 午前10時30分-午後4時
  • 見学費用 - 無料
  • 駐車場 - 無し[5]

交通アクセス

ギャラリー

脚注

  1. ^ 旧伊勢屋質店 - 文京シビックセンター、アカデミー推進課観光担当
  2. ^ 旧伊勢屋質店見世 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ 旧伊勢屋質店屋敷棟 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ 旧伊勢屋質店土蔵 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  5. ^ 旧伊勢屋質店 - 文京シビックセンター、アカデミー推進課観光担当

参考文献

関連項目

外部リンク