「自給自足」の版間の差分
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2015年9月29日 (火) 07:25時点における版
自給自足(じきゅうじそく)とは、生活に必要な物資をすべて[要出典]自ら手に入れる生活のあり方のことである。
自給自足では、食料や衣料、住居などを自分自身で生産または製作して生活する。
一般的には[要出典]、必要な食料は自分で畑や田を耕し穀物や野菜、果物を育てる。中には衣料や住居を自分で作り生活する人達もいる。 近年、食糧生産において実行を試みる人々が増えている。
関連人物
- ヘンリー・デイヴィッド・ソロー - 『ウォールデン-森の生活』(1854年)の作者。ウォールデン湖畔の森の中に丸太小屋を建て、自給自足の生活を2年2ヶ月間送る。
- 横井庄一 - グアム島のジャングルで自ら作った地下壕などで自給自足生活、28年後の1972年にようやく日本に帰還。
- 小野田寛郎 - 終戦を知らされず、太平洋戦争終結から30年近くフィリピン・ルバング島にて自給自足をしながら一人戦い続ける。
関連項目