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中世までのデーン人の国家は、たとえ異民族であっても、デンマーク王に従属し統率下に入ればデーン人と呼ばれ、そのような人々が一種の政治的な[[共同体]]を形作っていた。
中世までのデーン人の国家は、たとえ異民族であっても、デンマーク王に従属し統率下に入ればデーン人と呼ばれ、そのような人々が一種の政治的な[[共同体]]を形作っていた。


[[近代]]に入ると、[[国民国家]]の成立と共にデンマークの[[ナショナリズム]]・民族意識が高まり、今日のような「デンマーク人」としての国家となった。
[[近代]]に入ると、[[国民国家]]の成立と共にデンマークの[[ナショナリズム]]・民族意識が高まり、今日のような「[[デンマーク人]]」としての国家となった。
<!--デンマーク人の先祖となる集団であるが、デーン人の民族概念は、現在のデンマーク人とは異なる。それは民族的なものではなく、一種の政治的な[[共同体]]であった。
<!--デンマーク人の先祖となる集団であるが、デーン人の民族概念は、現在のデンマーク人とは異なる。それは民族的なものではなく、一種の政治的な[[共同体]]であった。
つまり異民族であっても、デンマーク王に従属して、その統率下に入ればデーン人と呼ばれていたのである。-->
つまり異民族であっても、デンマーク王に従属して、その統率下に入ればデーン人と呼ばれていたのである。-->

2015年8月18日 (火) 07:30時点における版

デーン人(デーンじん。デンマーク語: Daner)は、デンマーク地方に居住していたノルマン人の一派である。イングランドをはじめとした西ヨーロッパ一帯に進入し、大帝国を建設した。

当初はヴァイキングとして海賊活動を主体として行なった。9世紀にイングランドに侵攻し、デーンロウを築き上げた。10世紀キリスト教に改宗し、デンマーク王国としてデーン人を包括した統一国家を造り上げる。(デンマークの歴史#中世

1013年、デンマーク王のスヴェン王イングランド王になる。1016年、スヴェンの子カヌート大王がイングランド王に即位。後にデンマーク王、ノルウェー王にも即位し、北海帝国を築き上げた。カヌート大王の死後、帝国は崩壊、多くのデーン人は現在のデンマークに留まり、海外へ移住したデーン人は、その地の民族に同化していった。

中世までのデーン人の国家は、たとえ異民族であっても、デンマーク王に従属し統率下に入ればデーン人と呼ばれ、そのような人々が一種の政治的な共同体を形作っていた。

近代に入ると、国民国家の成立と共にデンマークのナショナリズム・民族意識が高まり、今日のような「デンマーク人」としての国家となった。

関連項目