「エマ・オブ・ノーマンディー」の版間の差分
m ボット: 言語間リンク 24 件をウィキデータ上の (d:Q40061 に転記) |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
[[ファイル:British.Library.MS.Add.33241.jpg|right|280px|thumb|『Encomium Emmae』。11世紀に[[ラテン語]]で書かれたイングランド王妃エマへの賛辞]] |
[[ファイル:British.Library.MS.Add.33241.jpg|right|280px|thumb|『Encomium Emmae』。11世紀に[[ラテン語]]で書かれたイングランド王妃エマへの賛辞]] |
||
'''エマ'''('''Emma''', [[985年]]頃 - [[1052年]][[3月6日]] [[ハンプシャー]]、[[ウィンチェスター (イングランド)|ウィンチェスター]])は[[ノルマンディー公]][[リシャール1世 (ノルマンディー公)|リシャール1世]]とその2番目の妻[[:en:Gunnora, Duchess of Normandy| |
'''エマ'''('''Emma''', [[985年]]頃 - [[1052年]][[3月6日]] [[ハンプシャー]]、[[ウィンチェスター (イングランド)|ウィンチェスター]])は[[ノルマンディー公]][[リシャール1世 (ノルマンディー公)|リシャール1世]]とその2番目の妻[[:en:Gunnora, Duchess of Normandy|グンノーラ]]の娘で、2度の結婚で2度続けて[[イングランド]][[王妃]]となった。最初の夫は[[エゼルレッド2世 (イングランド王)|エゼルレッド2世]]で、2度目の夫は[[クヌーズ1世 (デンマーク王)|クヌーズ]]。2人の夫ともうけた子供たちのうち、それぞれから1人ずつが後に[[イングランド王]]になった。クヌーズ1世との子[[ハーデクヌーズ]]と、エゼルレッド2世との子[[エドワード懺悔王]]である。さらに、兄ノルマーディー公[[リシャール2世 (ノルマンディー公)|リシャール2世]]の孫[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム1世]]もイングランド王となった。 |
||
==生涯== |
==生涯== |
2014年5月18日 (日) 12:16時点における版
エマ(Emma, 985年頃 - 1052年3月6日 ハンプシャー、ウィンチェスター)はノルマンディー公リシャール1世とその2番目の妻グンノーラの娘で、2度の結婚で2度続けてイングランド王妃となった。最初の夫はエゼルレッド2世で、2度目の夫はクヌーズ。2人の夫ともうけた子供たちのうち、それぞれから1人ずつが後にイングランド王になった。クヌーズ1世との子ハーデクヌーズと、エゼルレッド2世との子エドワード懺悔王である。さらに、兄ノルマーディー公リシャール2世の孫ウィリアム1世もイングランド王となった。
生涯
エゼルレッド2世との結婚は1002年で、2度目の妻だった。海峡を挟んで脅威であったノルマンディーの攻撃を回避するための政略結婚だったと思われる。
エゼルレッド2世との間に3人の子供が生まれた。
- Goda(またはGodjifu) - Dreux de Vexin、続いてブローニュ伯ウスタシュ2世と結婚。
- エドワード(エドワード懺悔王)。
- アルフレッド・アシリング(Alfred Aetheling)
1013年、デンマークがイングランドを侵略し、子供のエドワードとアルフレッドはノルマンディーに亡命した。
1016年、エゼルレッド2世が、さらに続いてイングランド王となったエドマンド2世(エゼルレッド2世と最初の妻の子)が亡くなり、デンマーク王クヌーズがイングランド王になった。
クヌーズには「仮祝言した」妻エルギフ・オブ・ノーサンプトン(Aelgifu of Northampton)がいたが、1017年にエマと結婚した。クヌーズはエマとの間に生まれた子ハーデクヌーズをデンマークの王位継承者にすることを誓約した。それは、エマへの愛を意味しているのかも知れないが、ノルマン人に現状に満足し、介入を思いとどまってもらう意図もあったようで、つまり、最初の結婚の時と同じく、政略結婚であったことを窺わせる。
クヌーズとの間に2人の子供が生まれた。
- ハーデクヌーズ
- グンヒルダ(Gunhilda) - 神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世の最初の妻。
1035年、クヌーズが亡くなった。デンマーク王は約束通りハーデクヌーズが継承したが、イングランド王の王冠をかぶったのは、イングランド貴族の支持を受けた、ハーデクヌーズの異母兄ハロルドだった。
1036年、息子のエドワードとアルフレッドがエマに会うために、亡命先のノルマンディーから帰国した。ハロルドに対抗する動きのように思われる。しかし、弟のアルフレッドは捕らえられ、目を潰され、その傷がもとでまもなく死んでしまった。兄のエドワードはノルマンディーに逃げ帰った。エマ本人もすぐさまブルッヘ、それからフランドル伯の宮廷に逃げた。『Encomium Emmae(エマ賛辞)』という本はその宮廷で書かれたものである。
1040年、ハロルドが亡くなり、ハーデクヌーズがイングランド王の王冠をかぶった。ハーデクヌーズはノルウェーとスウェーデンの領土を失っていたが、デンマークの安全は確保していた。
1041年、エドワードが帰国した。ハーデクヌーズはノルマンディー宮廷に対して、もし自分に子供がいなければエドワードが王になるべきだと言った。
1042年、ハーデクヌーズが亡くなって、エドワードがイングランド王になった。その時、エマは息子のエドワードでなく、マグヌスを支持したので、ずっと見捨てられたままだった。
評価
エマは2度の結婚の2度とも、最初の妻より劣っていると見られることが多い。出産中の合併症から亡くなったエゼルレッド2世の最初の妻エルギフは尊敬されていた[1]。クヌーズとの結婚では、先に「仮祝言した」妻エルギフ・オブ・ノーサンプトンの影に隠れて、当時はエルギフ・オブ・ノーマンディーという名で呼ばれていた。
ともあれ、エマの2度の結婚はイングランドとノルマンディーの強い絆を生み、後にそれはエマの大甥ウィリアム1世による1066年のノルマン・コンクエストで頂点を迎えることになる。
参考文献
- Pauline Stafford. Queen Emma and Queen Edith: Queenship and Women's Power in Eleventh-century England 2001 Blackwell's
- Isabella Strachan. Emma: The Twice-crowned Queen of England in the Viking Age 2005 Peter Owen
- Harriet O'Brien. Queen Emma and the Vikings 2005 Bloomsbury U.S.A.
- Helen Hollick. The Hollow Crown. (August 2004) William Heinemann, Random House. ISBN 0-434-00491-X; Arrow paperback ISBN 0-09-927234-2. This is a historical novel about Queen Emma of Normandy, explaining why she was so indifferent to the children of her first marriage.
- Noah Gordon. The Physician 1986 Macmillan ISBN 067147748X . Novel set in the early 11th century.
脚注
- ^ Trow, M.J., Cnut: Emperor of the North, first edn., Sutton (2005), pg. 54