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第1総軍は旧来の[[東部軍 (日本軍)|東部軍]]の[[軍管区|管轄区域]]だった[[東日本]]と[[中部軍 (日本軍)|中部軍]]の管轄区域のうちの[[中部地方]]を作戦地域とし、重点地域は[[関東平野]]だった。終戦後、部隊の復員業務を行う第1復員司令部として同年10月に改称した。 |
2013年1月19日 (土) 20:08時点における版
第1総軍 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)4月8日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 総軍 |
所在地 | 日本本土 |
通称号/略称 | 東方 |
担当地域 |
鈴鹿山系以東の 本州 |
最終位置 | 東京都 |
主な戦歴 | 第二次世界大戦 |
第1総軍(だいいちそうぐん)は、第二次世界大戦末期に、本土決戦を目的に設立された大日本帝国陸軍の総軍の一つである。
概要
太平洋戦争の戦局悪化に伴い、本土決戦に備えた決号作戦に基づき本土を東西に二分し、その東側を作戦地域とする総軍として昭和20年(1945年)4月8日に編成された。それまでも本土や朝鮮・台湾にある軍を指揮する組織として防衛総司令部があったが、実働部隊を持たない組織だった。
第1総軍は旧来の東部軍の管轄区域だった東日本と中部軍の管轄区域のうちの中部地方を作戦地域とし、重点地域は関東平野だった。終戦後、部隊の復員業務を行う第1復員司令部として同年10月に改称した。
基本情報
第1総軍の人事
総司令官
- 杉山元 元帥:昭和20年(1945年)4月7日 - 昭和20年(1945年)9月14日
- 土肥原賢二 大将:昭和20年(1945年)9月14日 - 昭和20年(1945年)9月23日
- 梅津美治郎 大将:昭和20年(1945年)9月23日 - 昭和20年(1945年)10月1日
- 河辺正三 大将:昭和20年(1945年)10月1日 - 昭和20年(1945年)11月30日
※昭和20年(1945年)10月15日から第1復員司令官と改称。以下総参謀長、総参謀副長も同じ
総参謀長
- 須藤栄之助 中将:昭和20年(1945年)4月6日 - 昭和20年(1945年)11月30日
総参謀副長
- 後藤光蔵 中将:昭和20年(1945年)4月6日 - 昭和20年(1945年)8月15日
- 石井正美 少将:昭和20年(1945年)8月15日 - 昭和20年(1945年)9月5日
- 中山寧人 少将:昭和20年(1945年)9月5日 - 昭和20年(1945年)10月27日
- 鎌田銓一 中将:昭和20年(1945年)9月5日 - 昭和20年(1945年)11月30日
高級参謀
- 吉本重章 大佐:昭和20年(1945年)4月6日~
隷下部隊
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