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土産物の木彫から出発し、大胆にして繊細、原始的にしてモダンな独自の作風を確立した。砂澤自身は「アイヌの芸術家」という枠にはめられることを嫌った。
土産物の木彫から出発し、大胆にして繊細、原始的にしてモダンな独自の作風を確立した。砂澤自身は「アイヌの芸術家」という枠にはめられることを嫌った。



初期には[[阿寒湖]]畔と[[鎌倉]]、その後[[札幌市|札幌]]を制作の拠点としたが、[[1978年]]からは旭川と同じ[[上川支庁]]の北部、[[音威子府村]]筬島(おさしま)の小学校跡にアトリエを構え、亡くなるまでの十余年、精力的に木彫作品の制作を行なった。その作品は国際的にも評価が高い。
初期には[[阿寒湖]]畔と[[鎌倉]]、その後[[札幌市|札幌]]を制作の拠点としたが、[[1978年]]からは旭川と同じ[[上川支庁]]の北部、[[音威子府村]]筬島(おさしま)の小学校跡にアトリエを構え、亡くなるまでの十余年、精力的に木彫作品の制作を行なった。その作品は国際的にも評価が高い。


二代目として、息子砂澤陣がビッキ文様を受け継ぎ制作活動を行なっている。
二代目として、息子の[[砂澤陣]]がビッキ文様を受け継ぎ制作活動を行なっている。


==略年譜==
==略年譜==

2012年2月11日 (土) 02:00時点における版

砂澤ビッキ(すなざわ ビッキ, Sunazawa Bikky, 1931年3月6日 - 1989年1月25日)は日本の彫刻家。木彫を専門とする。北海道旭川市出身。

土産物の木彫から出発し、大胆にして繊細、原始的にしてモダンな独自の作風を確立した。砂澤自身は「アイヌの芸術家」という枠にはめられることを嫌った。

初期には阿寒湖畔と鎌倉、その後札幌を制作の拠点としたが、1978年からは旭川と同じ上川支庁の北部、音威子府村筬島(おさしま)の小学校跡にアトリエを構え、亡くなるまでの十余年、精力的に木彫作品の制作を行なった。その作品は国際的にも評価が高い。

二代目として、息子の砂澤陣がビッキ文様を受け継ぎ制作活動を行なっている。

略年譜

  • 1931年 旭川市緑町15丁目にて、父、砂澤市太郎(アイヌ名:トアカンノ)と母、ベラモンコロの間に生まれる。戸籍上の名は「恒雄(ひさお)」。「ビッキ」は少年の頃からの愛称である。
  • 1947年 北海道立農業講習所(現・北海道立農業大学校)に入学。一家は神居村上雨紛(現・旭川市神居町共栄八区)に入植。
  • 1948年 同校修了。父が開拓した上雨紛で農業に従事する。
  • 1953年 阿寒湖畔に滞在し、土産物の木彫に従事。その後、鎌倉に移り住み、阿寒湖畔と鎌倉を往復する生活が始まる。
  • 1955年 2月、第五回モダンアート協会展(東京都美術館)に絵画『考える人』を出品し、初入選。3月、第七回日本アンデパンダン展(後の読売アンデパンダン展、東京都美術館)に出品。
  • 1956年 第六回モダンアート協会展に彫刻『後進民族』を出品して、彫刻に転向。
  • 1960年 第一回集団現代彫刻展(東京:西武百貨店)に『動物6 捕獲された動物』を出品。
  • 1964年 「TENTACLE No.1」彫刻展(東京:秋山画廊)を開催。「迷宮と下等動物の触覚」をテーマに掲げる。
  • 1967年 8月、阿寒から札幌に転居する。「雑種構成小動物の夜景」第1回展(札幌時計台画廊)。
  • 1968年 春、中央区宮の森に「アトリエモア」を構える。その後、北日本民芸社内にアトリエを移し、「アトリエモアモア」と新たに名づける。
  • 1975年 11月、第一回木面展(札幌:仏蘭西市場)。
  • 1976年 1月、「アーティストユニオンシンポジウム'76」(東京都美術館)に出品。
  • 1978年 第一回北海道現代美術展(北海道立近代美術館)にを出品。9月、個展(札幌時計台ギャラリー)。会場にて音威子府高校校長、狩野剛を知り、その勧めにより音威子府村への移住を決意。廃校となった筬島小学校跡をアトリエとし、「アトリエサンモア」と名づける。
  • 1979年 個展(音威子府:アトリエサンモア)。第一回「樹を語り」作品展(音威子府中央公民館、以後1988年まで毎年開催)に出品。
  • 1980年 音威子府駅前の『オトイネップタワー』を制作。1990年に強風で折れ、以後は筬島小学校のアトリエサンモアで展示されている。
  • 1981年 北海道大学中川地方演習林事務所前に演習林タワー『思考の鳥』を設置。
  • 1983年 カナダブリティッシュコロンビア州に滞在。12月、「IMAGES OF BRITISH COLUMBIA」展(バンクーバー:アーティストギャラリー)。
  • 1985年 1月、「現代彫刻の歩み-木の造形」(神奈川県民ホールギャラリー)に『トゥ(TOH)』二点を出品。3月、「ドキュメント人間列島-カムイの大地に木霊が響く」(NHK)出演。
  • 1986年 木の六人展(北海道立近代美術館)に出品。
  • 1988年 「一木多触」展(東京:INAXギャラリー)。旭川医科大学付属病院に入院、手術を受ける。
  • 1989年 「現代作家シリーズ89-上野憲男・砂澤ビッキ・吹田文明展」(神奈川県立県民ホールギャラリー)出品、オープニングに出席。1月25日、札幌愛育病院にて死去。享年57。第十一回「樹を語り」作品展-砂澤ビッキ遺作展(音威子府公民館、アトリエサンモア)。『砂澤ビッキ作品集』(用美社)刊行。

参考文献

関連項目

外部リンク