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'''ノニト・ドネア'''('''Nonito Donaire'''、男性、[[1982年]][[11月16日]] - )は、[[フィリピン]]の[[プロボクサー]]。[[世界ボクシング評議会|WBC]]・[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[バンタム級]]王者。元[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーフライ級]][[暫定王座|暫定王者]]。元[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[フライ級]]王者。
'''ノニト・ドネア'''('''Nonito Donaire'''、男性、[[1982年]][[11月16日]] - )は、[[フィリピン]]の[[プロボクサー]]。[[世界ボクシング評議会|WBC]]・[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[バンタム級]]王者。元[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーフライ級]][[暫定王座|暫定王者]]。元[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[フライ級]]王者。
フィリピン生まれのフィリピン人であるが、現在は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]]に移住しており、アマチュアボクシングの経歴もアメリカ籍で活躍している。
フィリピン生まれのフィリピン人であるが、現在は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]]に移住しており、アマチュアボクシングの経歴もアメリカ籍で活躍している。



2011年11月5日 (土) 13:45時点における版

ノニト・ドネア
基本情報
本名 ノニト・ドネア
通称 The Filipino Flash
階級 バンタム級
身長 168cm
リーチ 173cm
国籍 フィリピンの旗 フィリピン
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1982-11-16) 1982年11月16日(41歳)
出身地 フィリピン, ボホール
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 28
勝ち 27
KO勝ち 18
敗け 1
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ノニト・ドネアNonito Donaire、男性、1982年11月16日 - )は、フィリピンプロボクサー。前WBCWBO世界バンタム級王者。元WBA世界スーパーフライ級暫定王者。元IBF世界フライ級王者。 フィリピン生まれのフィリピン人であるが、現在はアメリカカリフォルニア州に移住しており、アマチュアボクシングの経歴もアメリカ籍で活躍している。

The Filipino Flash(フィリピンの閃光)の異名を持つ。
兄のグレン・ドネアも世界ランカーであり、2度の世界王座挑戦経験を持つ。

来歴

アマチュア時代

1982年に生まれ、幼少の頃よりアマチュアボクシングを始めた。もともと軽量級選手の少ないアメリカではすぐに注目される存在になり、2000年シドニーオリンピックではライトフライ級の選手として同じくフィリピン系のブライアン・ビロリアとアメリカ代表の座を争った。その後国内チャンピオンになる。代表の座は逃したが、同年のナショナル・アマチュア選手権では優勝している。

プロ時代

2001年に階級をフライ級に上げてプロへ転向する。デビュー戦は2月22日に1回KO勝利で飾るも、3月10日に行われた第2戦では5回判定負けを喫した。その後は勝利を重ね、2002年9月1日には空位のWBOアジア太平洋フライ級のタイトルを獲得。その後も無敗のまま2006年1月20日にはNABF北米スーパーフライ級タイトルを獲得した。

2007年7月7日、アメリカ・ブリッジポートオーストラリアサウスポー強打者ビック・ダルチニアンの持つIBFIBO王座に挑戦。フライ級で最強との呼び声が高かったダルチニアンの圧倒的有利が予想されていたが、5回、左フックで王者がダウン。立ち上がったもののふらつき、ロープ際に向かって倒れ込んだためレフェリーストップ。TKO勝利で王座を獲得した。この試合は2007年度のリングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。IBF・IBO王座はともに3度防衛後、返上した。

2009年8月15日、アメリカ・ラスベガスハードロック・ホテル&カジノで行われたWBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦でラファエル・コンセプシオンパナマ)に3-0(117-111、115-113、116-112)の判定勝利を収め、同王座を獲得した。コンセプシオンは前日計量で4ポンド12超過して失格となり、同王座はドネアだけに懸けられていた[1]

2010年2月13日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトンにてマヌエル・バルガスメキシコ)と対戦し、3回KO勝ち[2]当初、この試合はWBA世界スーパーフライ級暫定王座の初防衛戦として行われる予定だったが、最終的にはノンタイトル戦となった[要出典]

2010年7月10日、プエルトリコサンフアンにてエルナン・マルケス(メキシコ)を迎えてのWBA世界スーパーフライ級暫定王座の初防衛戦を行い、最初の4回をサウスポーで戦い5回以降はオーソドックスで戦うという戦法を取り、5回にダウンを奪った後に8回にもアッパーでダウンを奪ってそのままTKO勝利、初防衛に成功した[3]

2010年12月4日、アメリカ・アナハイムホンダ・センターにて元WBA世界バンタム級王者ウラジミール・シドレンコウクライナ)と対戦。今までKO負けの経験がなかったシドレンコを相手に、1回・3回・4回と合計3度のダウンを奪った末に4回KO勝ちを収め、WBC米大陸バンタム級王座を獲得した[4]

2011年2月19日、ラスベガスのマンダレイベイ・イベントセンターでWBC・WBO世界バンタム級王者フェルナンド・モンティエル(メキシコ)に挑戦。2回、カウンターの左フックでダウンを奪うと、ダウンから立ち上がった王者を連打で追撃。2分25秒、レフェリーストップによるTKO勝ちで王座奪取に成功[5]。また、アジア人としては初の、メジャー4団体(WBAWBCIBFWBO)全てで世界王座獲得に成功した。

2011年10月22日、アメリカ・ニューヨークMSGにてWBO世界スーパーフライ級王者オマール・ナルバエスアルゼンチン)と対戦。ダウンこそ奪えなかったものの、無敗の2階級王者を終始圧倒し、3-0(3者とも120-108)の大差判定勝ちを収めてWBC・WBO両王座の初防衛に成功した[6]

獲得タイトル

  • メジャー世界タイトル
  • マイナー世界タイトル
    • IBO世界フライ級王座(防衛3=返上)
  • 地域タイトル
    • WBOアジア太平洋フライ級王座
    • NABF北米スーパーフライ級王座
    • WBC米大陸バンタム級王座

脚注

  1. ^ 名城の暫定王座にドネア ルエバノは反則勝ちでV5 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年8月16日
  2. ^ ドネア、モンティエルとも圧勝 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月15日
  3. ^ ドネアはメキシカンに快勝 WBA暫定S・フライ級 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年7月12日
  4. ^ ドネア楽勝 激闘ソト、アンティロン下す ボクシングニュース「Box-on!」 2010年12月5日
  5. ^ “フラッシュ”ドネア鮮烈2冠奪取! ボクシングニュース「Box-on!」 2011年2月20日
  6. ^ ドネア、ナルバエスに完勝 次は西岡挑戦? ボクシングニュース「Box-on!」 2011年10月24日

関連項目

外部リンク

前王者
ビック・ダルチニアン
第17代IBF世界フライ級王者

2007年7月7日 - 2009年6月(返上)

空位
次タイトル獲得者
モルティ・ムザラネ
暫定王座決定戦 対戦者
ラファエル・コンセプション
WBA世界スーパーフライ級暫定王者
2009年8月15日 - 2010年(返上)
次暫定王者
ドリアン・フランシスコ
前王者
フェルナンド・モンティエル
第28代WBC世界バンタム級王者

2011年2月19日 - 現在

次王者
N/A
前王者
フェルナンド・モンティエル
第16代WBO世界バンタム級王者

2011年2月19日 - 現在

次王者
N/A