「ヨハン・フリードリヒ (ザクセン選帝侯)」の版間の差分

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[[マルティン・ルター]]と友好関係にあり、[[ヘッセン方伯]][[フィリップ1世 (ヘッセン方伯)|フィリップ]]と共に[[シュマルカルデン同盟]]の盟主となった。しかし、1546年の[[シュマルカルデン戦争]]を経て、1547年に[[神聖ローマ皇帝]][[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]に[[ミュールベルクの戦い]]で敗れて[[選帝侯]]位と所領を奪われ、[[はとこ|又従弟]]でヴェッティン家の別系統([[アルベルティン家|アルブレヒト系]])に属する[[モーリッツ (ザクセン選帝侯)|モーリッツ]]に与えられた。
[[マルティン・ルター]]と友好関係にあり、[[ヘッセン方伯]][[フィリップ1世 (ヘッセン方伯)|フィリップ]]と共に[[シュマルカルデン同盟]]の盟主となった。しかし、1546年の[[シュマルカルデン戦争]]を経て、1547年に[[神聖ローマ皇帝]][[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]に[[ミュールベルクの戦い]]で敗れて[[選帝侯]]位と所領を奪われ、[[はとこ|又従弟]]でヴェッティン家の別系統([[アルベルティン家|アルブレヒト系]])に属する[[モーリッツ (ザクセン選帝侯)|モーリッツ]]に与えられた。


しかし、モーリッツの勢力拡大を恐れたカール5世は、ヨハン・フリードリヒの子息たちに[[テューリンゲン州|テューリンゲン]]の各地の領土を与えて、ヴェッティン家の統一を阻んだのである。
しかし、モーリッツの勢力拡大を恐れたカール5世は、ヨハン・フリードリヒの子息たちに[[テューリンゲン州|テューリンゲン]]の各地の[[方伯]]として領土を与えて、ヴェッティン家の統一を阻んだのである。


== 家族 ==
== 家族 ==

2011年10月28日 (金) 06:31時点における版

ヨハン・フリードリヒ
クラナッハ作(1531年)

ヨハン・フリードリヒ(1世)(Johann Friedrich (I.), 1503年6月30日 - 1554年3月3日)は、ザクセン選帝侯(在位:1532年 - 1547年)。ヴェッティン家エルンスト系のザクセン選帝侯ヨハンの長男。寛容侯(der Toleranze)とも呼ばれる。

マルティン・ルターと友好関係にあり、ヘッセン方伯フィリップと共にシュマルカルデン同盟の盟主となった。しかし、1546年のシュマルカルデン戦争を経て、1547年に神聖ローマ皇帝カール5世ミュールベルクの戦いで敗れて選帝侯位と所領を奪われ、又従弟でヴェッティン家の別系統(アルブレヒト系)に属するモーリッツに与えられた。

しかし、モーリッツの勢力拡大を恐れたカール5世は、ヨハン・フリードリヒの子息たちにテューリンゲンの各地の方伯として領土を与えて、ヴェッティン家の統一を阻んだのである。

家族

1527年にユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヨハン3世の娘ジビュレと結婚し、4男をもうけた。

先代
ヨハン
ザクセン選帝侯
1532年 - 1547年
次代
モーリッツ
先代
ヨハン
ザクセン公
エルンスト系
1532年 - 1554年
次代
ヨハン・フリードリヒ2世