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'''旭沢橋梁'''(あさひざわきょうりょう)は、[[北海道]][[夕張市]][[大夕張|鹿島]]明石町にあるトラスド・ガーター橋。[[三菱石炭鉱業大夕張鉄道線]]の[[廃橋]]である。第1回[[北海道遺産]]に選定された「空知の炭鉱関連施設と生活文化」の1つである。
'''旭沢橋梁'''(あさひざわきょうりょう)は、[[北海道]][[夕張市]][[大夕張|鹿島]]明石町にあるトラスド・ガーター橋。[[三菱石炭鉱業大夕張鉄道線]]の[[明石町駅]] - [[千年町駅]]間にある[[廃橋]]である。第1回[[北海道遺産]]に選定された「空知の炭鉱関連施設と生活文化」の1つである。


== 沿革 ==
== 沿革 ==
[[三菱石炭鉱業大夕張鉄道線]]は[[三菱大夕張炭鉱|大夕張炭鉱]]の石炭輸送のため、明治時代に専用鉄道として開業し、[[1929年]](昭和4年)に炭鉱の北部開発に伴い路線が延長された。その後、地方鉄道に改組したが旭沢橋梁はこの延長時に架橋されたものである。製作は[[横河橋梁製作所]]、工期を短縮するため鋼トレッスル橋脚を持つトラスド・ガーター橋、上弦材の華奢なIビームをトラスのパネルが補強している。延長時には南大夕張側から1~8号橋が架設され、旭沢橋梁は5号鉄橋とも呼ばれたが、旭沢より南大夕張方の明石沢橋梁が当初暗渠として計画されたが、後に橋梁に変更され8号鉄橋となっている。昭和30年代の[[大夕張ダム]]や道路建設による埋め立てのため、[[1973年]](昭和48年)の廃線時まで残ったのはこの2本だけであるが、現在建設中の[[夕張シューパロダム]]が完成すると水没する運命にある。
[[三菱石炭鉱業大夕張鉄道線]]は、明治時代に[[三菱大夕張炭鉱|大夕張炭鉱]]の石炭輸送のため専用鉄道として開業し、[[1929年]](昭和4年)に炭鉱の北部開発に伴い路線が延長された。
その後、地方鉄道に改組したが旭沢橋梁はこの延長時に架橋されたものである。製作は[[横河橋梁製作所]]が行い、工期を短縮するため[[トレッスル橋]]脚を持つトラスド・ガーター橋を採用し、上弦材の華奢なIビームをトラスのパネルが補強している。
延長時には南大夕張側から1~8号橋が架設され、旭沢橋梁は5号鉄橋とも呼ばれたが、旭沢より南大夕張方の明石沢橋梁が当初暗渠として計画されたが、後に橋梁に変更されたため、明石沢橋梁は8号鉄橋となっている。
昭和30年代の[[大夕張ダム]]や道路建設による埋め立てのため、[[1973年]](昭和48年)の廃線時まで残ったのはこの2本だけであるが、現在建設中の[[夕張シューパロダム]]が完成すると水没する運命にある。


== データ ==
== データ ==
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== アクセス ==
== アクセス ==
旭沢橋梁のすぐ脇を[[国道452号]]が通っているが、公共交通機関は無い。
旭沢橋梁のすぐ脇を[[国道452号]]が通っているが、公共交通機関は無い。

== 外部リンク ==
*[http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/brtop.htm 歴史的鋼橋集覧]


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
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* 大塚勝・進藤義郎・妹尾義孝『橋梁と基礎』「大夕張鉄道跡に現存する旭沢橋梁の実測調査とその土木遺産価値」(平成16年7月号 建設図書)
* 大塚勝・進藤義郎・妹尾義孝『橋梁と基礎』「大夕張鉄道跡に現存する旭沢橋梁の実測調査とその土木遺産価値」(平成16年7月号 建設図書)


== 関連項目 ==
* [[明石沢橋梁]] — 同様に現存する橋梁
* [[廃橋]]

== 外部リンク ==
*[http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T5-101.htm 歴史的鋼橋 旭沢橋梁(土木学会)]

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2011年9月28日 (水) 07:26時点における版

旭沢橋梁を通過する混合列車/1972年
今も残る旭沢橋梁/2002年

旭沢橋梁(あさひざわきょうりょう)は、北海道夕張市鹿島明石町にあるトラスド・ガーター橋。三菱石炭鉱業大夕張鉄道線明石町駅 - 千年町駅間にある廃橋である。第1回北海道遺産に選定された「空知の炭鉱関連施設と生活文化」の1つである。

沿革

三菱石炭鉱業大夕張鉄道線は、明治時代に大夕張炭鉱の石炭輸送のための専用鉄道として開業し、1929年(昭和4年)に炭鉱の北部開発に伴い路線が延長された。

その後、地方鉄道に改組したが、旭沢橋梁はこの延長時に架橋されたものである。製作は横河橋梁製作所が行い、工期を短縮するために鋼トレッスル橋脚を持つトラスド・ガーター橋を採用し、上弦材の華奢なIビームをトラスのパネルが補強している。

延長時には南大夕張側から1~8号橋が架設され、旭沢橋梁は5号鉄橋とも呼ばれたが、旭沢より南大夕張方の明石沢橋梁が当初暗渠として計画されたが、後に橋梁に変更されたため、明石沢橋梁は8号鉄橋となっている。

昭和30年代の大夕張ダムや道路建設による埋め立てのため、1973年(昭和48年)の廃線時まで残ったのはこの2本だけであるが、現在建設中の夕張シューパロダムが完成すると水没する運命にある。

データ

種別
  • トラスド・ガーター橋(単線上路プラットトラス/上路I桁/鋼構橋脚)
全長
  • 72.3m(支間4×14.630m,2×5.943m)

アクセス

旭沢橋梁のすぐ脇を国道452号が通っているが、公共交通機関は無い。

参考文献

  • 奥山道紀・赤城英昭『三菱鉱業大夕張鉄道』(ネコ・パブリッシング RM LIBRARY 47、2003年) ISBN 4777050025
  • 宮脇俊三 『鉄道廃線跡を歩く・IV』「三菱鉱業大夕張鉄道」(JTBパブリッシング、1997年) ISBN 4-533-02857-8
  • 大塚勝・進藤義郎・妹尾義孝『橋梁と基礎』「大夕張鉄道跡に現存する旭沢橋梁の実測調査とその土木遺産価値」(平成16年7月号 建設図書)

関連項目

外部リンク

座標: 北緯43度3分52.5秒 東経142度6分11.1秒 / 北緯43.064583度 東経142.103083度 / 43.064583; 142.103083