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'''琵琶形銅剣'''(びわがたどうけん)は、[[青銅器]]の一種である。'''遼寧式銅剣'''(りょうねいしきどうけん)の名もある。
'''琵琶形銅剣'''(びわがたどうけん)は、[[青銅器]]の一種である。'''遼寧式銅剣'''(りょうねいしきどうけん)の名もある。


[[満州]]から[[朝鮮半島]]、[[遼寧省|遼寧地方]]にかけて出土している[[銅剣]]。最も古いものは遼西地域の小黒石溝の石郭墓で[[西周]]後期の青銅器と共伴したもので、[[紀元前]]9世紀頃に比定されている<ref>宮本一夫「弥生の実年代を考古学的に考える」 『[[東アジアの古代文化]]』117号 [[大和書房]] [[2003年]]</ref>。朝鮮半島からの出土は紀元前7世紀前後からである。韓国国定国史教科書では、琵琶形銅剣と[[檀君]]説話(仏僧[[一然]]が13世紀に蒐集した説話集『[[三国遺事]]』に記載した[[平壌]]地方の説話。一然は[[堯|堯帝]]即位50年目を檀君即位年にあてている)を結びつけており、琵琶形銅剣の出土地を[[檀君朝鮮]]の勢力圏として教えている。
[[満州]]から[[朝鮮半島]]、[[遼寧省|遼寧地方]]にかけて出土している[[銅剣]]。最も古いものは遼西地域の小黒石溝の石郭墓で[[周|西周]]後期の青銅器と共伴したもので、[[紀元前]]9世紀頃に比定されている<ref>宮本一夫「弥生の実年代を考古学的に考える」 『[[東アジアの古代文化]]』117号 [[大和書房]] [[2003年]]</ref>。朝鮮半島からの出土は紀元前7世紀前後からである。韓国国定国史教科書では、琵琶形銅剣と[[檀君]]説話(仏僧[[一然]]が13世紀に蒐集した説話集『[[三国遺事]]』に記載した[[平壌]]地方の説話。一然は[[堯|堯帝]]即位50年目を檀君即位年にあてている)を結びつけており、琵琶形銅剣の出土地を[[檀君朝鮮]]の勢力圏として教えている。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2011年9月2日 (金) 07:11時点における版

戦争記念館で展示される琵琶形銅剣。キャプションでは遼寧式銅剣となっている。

琵琶形銅剣(びわがたどうけん)は、青銅器の一種である。遼寧式銅剣(りょうねいしきどうけん)の名もある。

満州から朝鮮半島遼寧地方にかけて出土している銅剣。最も古いものは遼西地域の小黒石溝の石郭墓で西周後期の青銅器と共伴したもので、紀元前9世紀頃に比定されている[1]。朝鮮半島からの出土は紀元前7世紀前後からである。韓国国定国史教科書では、琵琶形銅剣と檀君説話(仏僧一然が13世紀に蒐集した説話集『三国遺事』に記載した平壌地方の説話。一然は堯帝即位50年目を檀君即位年にあてている)を結びつけており、琵琶形銅剣の出土地を檀君朝鮮の勢力圏として教えている。

参考文献

  1. ^ 宮本一夫「弥生の実年代を考古学的に考える」 『東アジアの古代文化』117号 大和書房 2003年