「ザ・レッド・ジャンプスーツ・アパラタス」の版間の差分
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2011年1月10日 (月) 13:33時点における版
The Red Jumpsuit Apparatus | |
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2010年5月のライブ。 | |
基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 フロリダ州ジャクソンビル |
ジャンル |
スクリーモ (現在) エモ ポップ・パンク オルタナティブ・ロック (2008-2009年) |
活動期間 | 2001年 – 現在 |
レーベル |
未契約 ヴァージン (2005-2010年) |
公式サイト | redjumpsuit.com |
メンバー |
ロニー・ウィンター デューク・キチンズ マット・カーター ジョーイ・ウエストウッド ジョン・ウィルケス |
ザ・レッド・ジャンプスーツ・アパラタス(The Red Jumpsuit Apparatus)とはアメリカ合衆国、フロリダ州ジャクソンビル出身のスクリーモバンドである。
バンドの名前である"Red Jumpsuit Apparatus"(直訳:赤ジャンプスーツ器具)は、目隠しされたメンバーの一人が、壁に貼られたでたらめの単語の中から3つ選んで決めたもので、メンバーは名前にはこだわっていなかった。"Face Down"は、全米シングルチャートにて最高24位を記録した彼等の代表曲。
現在のメンバー
ロニー・ウィンター / Ronnie Winter - (ヴォーカル)
- 2006年8月、5年以上付き合った彼女ステイシーと結婚。
デューク・キチンズ / Duke Kitchens - (リード・ギター・ピアノ)
マット・カーター / Matt Carter - (リズム・ギター)
ジョーイ・ウエストウッド / Joey Westwood - (ベース)
- 2007年8月、恋人ローラとの間に娘をもうける。
ジョン・ウィルケス / Jon Wilkes - (ドラム)
元メンバー
エリアス・レイディ / Elias Reidy - (ギター)
- 2008年10月に脱退。
来歴
結成
2001年冬にロニー(ヴォーカル)とデューク(ギター)が、フロリダ州にてバンドを結成。初期の頃はBlink 182等のカバーを行っていた。その後も、地方で精力的に活動し評判を得るもメンバー数人が脱退。ロニーがネットでメンバーを募集し、それをみたエリアス(ギター)が加入、その後エリアスが以前活動していたメタル・バンドのメンバーで、幼なじみのジョーイ(ベース)が加入する。同じ時期にジョン(ドラム)が入り今のメンバーとなる。数ヶ月後にヴァージン・レコードと契約。プロデューサーとしてホーソーン・ハイツ、ブレイキング・ベンジャミンを手がけたデビット・ベンデスを迎えアルバムの製作に着手する。
1stアルバム「Don't You Fake It」
2006年6月18日、デビューアルバム「Don't You Fake It」をリリース。全米最高25位となる。当時、時代の流れに乗った先鋭スクリーモサウンドに全米から注目が集まり、最終的に全米で100万枚以上を売り上げる大ヒットを記録[1]。このアルバムには、後の彼らの代表曲となる「Face Down」が収録されており、全米シングルチャートにて最高24位を記録している。ちなみに、この曲「Face Down」は、家庭内暴力について書かれた曲で、インタビューでロニーは自身の経験をもとにしてつくられたものだという。「In Fate's Hands」はエリアスとジョーイがいたメタルバンドの名前と同名で、「Seventeen Ain't So Sweet」は、才能はあるがミュージシャンとして成功できないでいる女友達に捧げた曲である。またすべての曲のコンセプトは実際に起きた出来事である。
2008年4月、幕張メッセにて開催されたPUNKSPRING'08に出場。その後の10月に、ギターのエリアス・レイディが脱退する。直後にマット・カーターを正式メンバーへ迎え入れる。
2ndアルバム「Lonely Road」
2009年2月3日には、プロディーサーに、セイオシン,スリー・ディズ・グレイス等を手がけたハワード・ベンソンを迎えた2ndアルバム「Lonely Road」をリリース。全米最高14位となる。また、この作品では音楽性が以前と一変しており、楽曲から絶叫を外す「脱スクリーモ」を行っている。それに加え、オルタナティブ・ロック調やカントリー調の楽曲まで収録されており、それまでのハードコアなサウンドから一転、非常にポップな路線へと移行している。その為、当時、全米では多くの賛否両論が巻き起こっていた。
フリーでの活動、原点回帰
2010年になると、当時契約を結んでいたヴァージン・レコードからの離脱を表明。その後はフリーで活動を行っており、8月24日には自主制作でミニアルバム「Hell or High Water EP」をリリースした。なお、今作からロニーの絶叫も完全復活し、サウンドも以前のスクリーモ寄りへと戻っている。セカンドシングル「Don't Hate」のミュージックビデオが、現在、彼らの公式MySpaceで試聴できる。
音楽性の変化
1stアルバム「Don't You Fake It」では、ポップ・パンクに巧みに絶叫を交ぜた攻撃的なサウンド、いわゆるスクリーモと呼ばれるサウンドを聴かせてくれた彼等だが、2ndアルバム「Lonely Road」からは完全に絶叫を外し、全体的に落ち着いた楽曲が並んでいる。そのため、アメリカでは発売当時、数多くの賛否両論が巻き起こった。しかし、レーベル離脱後にセルフリリースしたミニアルバム「Hell or High Water EP」では、「Choke」や「Don't Hate」を筆頭に以前の彼らのスクリーモサウンドへと回帰している。
ディスコグラフィー
アルバム
- Don't You Fake It (2006年) 全米最高25位
- In Fate's Hands
- Waiting
- False Pretense
- Face Down
- Misery Loves Its Company
- Cat and Mouse
- 7. Damn Regret
- 8. Atrophy
- 9. Seventeen Ain't So Sweet
- 10. Justify
- 11. Your Guardian Angel
- 12. The Grim Goodbye
- Lonely Road(2009年)全米最高14位
- You Better Pray
- No Spell
- Pen & Paper
- Represent
- Pull Me Back
- Step Right Up
- 7. Believe
- 8. Pleads and Postcards
- 9. Lonely Road
- 10. Senioritis
- 11. Godspeed
シングル
年 | タイトル | アルバム | チャート | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
U.S. Hot 100 |
U.S. Pop 100 |
U.S. Mod. Rock |
U.S. Main. Rock |
New Zealand | |||
2006 | "Face Down" | Don't You Fake It | 24 | 15 | 3 | 38 | 4 |
2007 | "False Pretense" | - | - | 39 | - | - | |
"Your Guardian Angel" | 122 | - | - | - | 19 | ||
2008 | "Damn Regret" | - | - | - | - | - | |
"You Better Pray" | Lonely Road | - | - | 17 | 31 | - | |
2009 | "Pen and Paper" | 75 | - | 32 | - | - | |
"Represent" | - | - | - | - | - |
デモ・EP
- The Red Jumpsuit Apparatus (2005年)
- Ass Shaker/Justify/Face Down EP (2006年)
- AOL Sessions Undercover EP (2007年)
- Your Guardian Angel EP (2007年)
- Shock Session (2010年)
- Hell or High Water EP (2010年)