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2010年11月3日 (水) 18:58時点における版

神にひとり子イサクを捧げようとするアブラハムと、それをとどめる天使
Abraham and Isaacレンブラント、1634年)

アブラハム (英語 Abraham 、ヘブライ語 אַבְרָהָם (ab-raw-hawm') 、ギリシア語 Αβραάμ 、「群衆(多数のもの)の父」の意) は、ユダヤ教キリスト教イスラム教を信じるいわゆる聖典の民の始祖。ノアの洪水後、による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者。「信仰の父」とも呼ばれる。

ユダヤ教の教義では全てのユダヤ人の、またイスラム教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜上の祖とされ、神の祝福も律法戒律)も彼から始まる。イスラム教ではイブラーヒーム(アラビア語: ابراهِيم‎, Ibrāhīm) と呼ばれ、ノア(ヌーフ)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされる。キリスト教の正教会においてはアウラアムと称され、聖人に列せられている。

聖書におけるアブラハム

旧約聖書冒頭の創世記の11章から25章にかけて描かれている。

テラの子アブラム(אַבְרָם、Abram)は、文明が発祥したメソポタミア地方カルデアウル(現在のイラク南部)において生まれた、と学者らによって考えられている。 イラク人はカルデアのウルとはメソポタミア南部の古代都市ウルのことであるとしており、現在の歴史学者や考古学者の間でもこの考えが主流である。 (ただし、トルコのムスリムの伝承では、『旧約聖書』にある預言者アブラハム(イブラーヒーム)がカナンに向けて出発した「ウル」(カルデアのウル)とはウルファのことであるとし、これは世俗主義の立場である聖書学からも支持されていた。[1]イスラム教の伝統ではアブラハムの誕生した場所はウルファであるとされており、これを記念するモスクも建てられている。)

テラは、その息子アブラムと、孫でアブラムの甥に当たるロト、およびアブラムの妻でアブラムの異母妹に当たるサライ(のちのサラ)と共にカナンの地(ヨルダン川西岸。現在のパレスティナ)に移り住むことを目指し、ウルから出発した。しかし、途中のハランにテラ一行は住み着いた。

アブラムは、父テラの死後、神(יהוה)から啓示を受け、それに従って、妻サライ、甥ロト、およびハランで加えた人々とともに約束の地カナン(パレスチナ)へ旅立った。アブラム75歳の時のことである。以下は、その時の神の啓示である。

「あなたは、
あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
あなたを祝福し、
あなたの名を大いなるものとしよう。
あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上の全ての民族は、あなたによって祝福される。

— 旧約聖書『創世記』12:1-3、日本聖書刊行会の新改訳聖書より

アブラム一行がカナンの地に入ると、シェケムエルサレムの北方約50km)で神がアブラムに現れ、

あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。

— 『創世記』12:7、日本聖書刊行会の新改訳聖書より

と預言された。アブラムは、自分のために現れてくださった神のため最初の祭壇をシェケムに築いた。その後、アブラム一行は更に南下してベテルとアイの間(エルサレムの北方約20km)に移り住んだ。ベテルとアイの間にも神のための祭壇を築き、神の御名によって祈った。

その後、ネゲブ地方(カナン南部の高原性乾燥地帯)が飢饉に襲われたため、アブラム一行は揃ってエジプトへ避難した。見目麗しい妻サライが原因で自分が殺害されることを恐れたアブラムは、妻サライに自分の妹とだけ称させることにした(実際、サライは、アブラムの異母妹であった)。そのサライがエジプト王の宮廷に召し抱えられたため、アブラムは一大財産を築いた。神は、アブラムの妻サライがエジプト王の妻とされてしまっていることでエジプト王とその家とをひどい災害で痛めつける。エジプト王は、神がアブラム側に立っている事態を理解したので、アブラム一行を彼らの全ての所有物と共にカナンの地へ送り出した。

アブラム一行は、ベテルとアイの間の祭壇のところまで戻り、神の御名によって祈った。アブラム一行は既に家畜も奴隷も金銀財産も十分持ち過ぎていたので、アブラムがカナン地方(ヨルダン川西岸)を、ロトがヨルダンの低地全体を選び取って住み分け、ロトは、のちに東のほう、ヨルダン川東岸に移動した。なお、ロトがヨルダンの低地を選び、移り住んだ時点では、そこにはまだソドムゴモラが存在しており、これらの都市は神の怒りによって滅ぼされる直前であった。

アブラムとロトとが分かれた後、アブラムに神から以下のような預言が下された。

「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。
立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。

— 『創世記』14:14-17、日本聖書刊行会の新改訳聖書より

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じるいわゆる聖典の民は、いずれも彼を唯一神יהוה)が人類救済のために選んだ預言者として篤く尊敬し、祝福する傾向が強い。そのため、これらの宗教は「アブラハムの宗教」とも呼ばれる。

アブラハムは、かつて名はアブラムであった。そのアブラムを神の指示によりアブラハムに変更させられている。 この故事にならったかのような母音付加が、これ以後、この地方の言語にはよく見受けられる現象となる。同時に、このことが古代ヘブライ語や古代アラム語の正確な読みをわかりにくくさせている原因となっている。これは、典型的な通俗語源の一種であるとされている。

神の使いを迎えるアブラハム(『創世記』第18章)。ドレ
神にひとり息子のイサクを捧げようとするアブラハムとそれをとどめる天使(『創世記』第22章)。(ロラン・ドゥ・ラ・イール画、1650。オルレアン美術館

彼は老齢になっても嫡子に恵まれなかった(ハランを出発したときは75歳)が、神の言葉

「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」「あなたの子孫はこのようになる。」

— 創世記15:5、新共同訳聖書より

の通り、後に老妻サラ(サライ)との間に嫡子イサク(イツハク)を授かった。

アブラハムの位置づけ

ユダヤ人はイサクの子ヤコブ(ヤアコブ)を共通の祖先としてイスラエル12部族が派生したとし、アブラハムを「父」として崇め、また「アブラハムのすえ」を称する。 一方でイサクの異母兄に、妾ハガルから生まれた一子イシュマエル(イシュマイール)があり、旧約聖書の伝承では彼がアラブ人の先祖となったとされる。

(イスラム教では、旧約聖書の伝承について、改竄にもとづく誤りを含みつつも神の言葉を伝えた啓典であると考えてはいるが、アブラハムについて同様に考えており、アラブ人はアブラハム(イブラーヒーム)とイシュマエル(アラビア語ではイスマーイール)を先祖とみなしている。イスラム教の立場では、アブラハムとはユダヤ教もキリスト教も存在しない時代に唯一神を信じ帰依した完全に純粋な一神教徒であり、イスラム教とはユダヤ教とキリスト教がいずれもアブラハムの信仰から逸脱して不完全な一神教に落ちた後の時代にアブラハムの純粋な一神教を再興した教えである、と考えられた。)

また、すべてのユダヤ教徒の男子はアブラハムと神との契約により、生後8日に割礼を受ける定めである。(なお、イスラム教徒(ムスリム)も生後7日目から12歳までの間に割礼を行うが、ユダヤ教とは違ってとくにアブラハムに由来する法とは考えられておらず、宗教的義務ではなく共同体の慣習に過ぎないとみなす法学派が有力である。)

ファイル:Tomb of Abraham.jpg
ヘブロンにあるアブラハムの墓廟の前で祈るユダヤ人たち

アブラハムの墓廟パレスチナヨルダン川西岸地区ヘブロンにあり、ユダヤ教とイスラム教の聖地として尊崇されている。

男性の名

アブラハム、イブラーヒームの名は、ユダヤ教、イスラム教など、尊敬する人々の間では、世界的に非常によく男性の名として使われている。イスラエルに住むユダヤ教徒でその名を持つ人は非常に多い。数名に一人がその名、という状況である。イスラエル以外の世界中のユダヤ系の男性にもかなり多い。

ヨーロッパで専らカトリックだけが布教されていた時代には、その名はあまり使われていなかった。プロテスタントが生まれてからは、カトリックの聖人と同じ名になることを避けて旧約聖書の人名を用いることが多くなり、近世になりアブラハムと名付けられた人はいくらか増加した。

アメリカ合衆国においては、ユダヤ人の数も多く[2]、また元々人種的にはユダヤ系でありながら現在はプロテスタント系の中でも特に旧約聖書とイスラエルを重視する教会に所属している人、あるいは人種的にはユダヤ人とは関係ないがプロテスタント教会に属する人、などが入り乱れており、結果としてその名をつけている人はかなり多い。第16代大統領リンカーンのファーストネームもアブラハム(Abraham:英語読みではエイブラハム)である。

脚注

  1. ^ 「ウルファ」という地名が実際に確認されるのは東ローマ帝国時代以降である。
  2. ^ アメリカ合衆国におけるユダヤ人の人数は、5,300,000~5,671,000人とされており、イスラエルにおける人数とほぼ同数である。(Wikipedia英語版2007年7月27日より)

関連項目