一神教

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一神教(いっしんきょう、monotheism)とは、ただひとつの的存在者のみを認めてこれを信仰する宗教[1]

通常、イスラム教キリスト教ユダヤ教の3つがその典型だとされる[2]

概要[編集]

成立に関する説[編集]

歴史上は、次に挙げる3種が区別できる[2]

  1. 単一神教または交替神教
  2. 拝一神教
  3. 絶対的一神教 - すべての民族・国民がただひとつの神を信ずべきだとする立場[2]

一神教の成立の歴史に関する説としては、次の2種がある[2]

  • アニミズム的多神観から単一神教をへて一神教へと発展する、とする説(進化説)[2]
  • 原始的な至上者信仰から多神観へ退化する、とする説(原始一神観説 urmonotheism)[2]

定義[編集]

一神教の定義はあいまいな面も有する[要出典]

インドネシアにおいてはパンチャシラにおいて唯一神への信仰が国是となっており、無神論の表明は違法とされる。一方で仏教ヒンドゥー教儒教国教と定められている。これらの宗教も「唯一神信仰の枠組みに含まれる」と解釈されているのである[3]

仏教においては上座部仏教(南伝仏教・小乗仏教)は、釈迦のみを仏とするため(ただし上座部も過去七仏は認めている)、上座部仏教を一神教と見做す見解もある。

日本においても真言宗大日如来を天地万物と一体である「法身仏」としており、日蓮宗神社への参拝を認めつつも釈迦牟尼如来を唯一絶対の本仏であるとしている。なお、日蓮正宗においても神道における神の扱いや「本仏」の内容は異なるものの、基本的な教学は同じである。金光教大本の流れをくむ新宗教の生長の家も唯一絶対神への信仰を掲げる唯神実相論を提唱している[要出典]

唯一神[編集]

旧約聖書』(ユダヤ教聖書)から連なる一神教にとっては、唯一なる神が「宇宙で唯一の正当な王者」であり、人間は神だけを崇拝するべきである[4]。神以外の権力金銭収集は、神の「排他的絶対性」に背くことであり、偶像崇拝に他ならないと糾弾される[4]

商業資本主義近代物質欲求世俗化西洋などを「偶像崇拝」と見なし、これを究極のとする宗教的考えは、ユダヤ教に起源がある[5]。ユダヤ教は、その規模からすれば世界宗教ではないが、「偶像崇拝」を宗教上重要な概念とするにあたって、多大な役割を果たした[6]

『旧約聖書』の宗教的語り口において「偶像崇拝」は、人間関係や夫婦仲としても語られている[7]。神は「」で、神の国(イスラエル)は「」である[7]。しかし「妻」は、物質的欲求をより満たしてくれる「愛人」(偶像邪神)を好むようになって、「夫」を裏切る[7]

愛人たちについて行こう。パン羊毛オリーブ油飲み物をくれるのは彼らだ。(ホセア書第2章第5節)[7]

つまり『旧約聖書』の中で「偶像崇拝」は、姦通と同一視されている[7]。嫉妬深い唯一神という概念も、嫉妬深い「夫」に等しい[7]。「愛人」たちとは、異教徒の神に支配される有力国を意味しており、「夫」なる神は以下のように糾弾する[7]

お前はまた、肉欲の強い隣国エジプト人たちと姦淫を行い、姦淫を重ねてわたしを怒らせた。 …

それでも、お前は飽きたらず、アシュルの人々と姦淫を行った。彼らと姦淫を行ってもまだ飽きず、商業の地カルデアと姦淫を重ねたが、それでもなお飽き足らなかった。 …
お前は報酬を受け取ることを潔しとしなったから、娼婦とは違っていた。お前は、自分の夫の代わりに外国の男と通じる淫行の妻だ。(エゼキエル書第16章第26~32節)[7]

こうした「神の統治と競う潜在的な誘惑者は地上の大国である」という観念は、少なくとも『旧約聖書』の時代から存在していた[4]。唯一神の領域に立ち入ることは傲慢と非難され、その代表例は大国の指導者である[4]。一例は、高慢な領主ティルスの君主)が、唯一神によって戒められた逸話である[4]

お前の心は高慢になり、そして言った。「わたしは神だ。わたしは海の真ん中にある神々の住みかに住まう」と。しかし、お前は人であって神ではない。ただ、自分の心が神のようだ、と思い込んでいるだけだ。 …

わたしはお前に対して諸国の中でも最も暴虐な外国人を立ち向かわせる。(エゼキエル書第28章第2節、第7節)[4]

一神教の見方では、大国は「偶像崇拝」や「慢心」を持っており、神の国に敵対している[8]

この国はとに満たされ、財宝には限りがない。この国は軍馬に満たされ、戦車には限りがない。この国は偶像に満たされ、手の業指の造った物にひれ伏す。(イザヤ書第2章第7~8節)[9]

軍馬や戦車は当時の重兵器であり、大国の主要な象徴だった[9]。このような一節は現在に至るまで、(大国と武器の名称を入れ替えることにより、)現実への非難の言葉として引用されてきた[9]。イスラームを例に取れば、唯一神以外への崇拝や商業利益追求は、「偶像崇拝」であり、ジャーヒリーヤ(宗教的な「無知」)である[9]。特に近代のイスラーム主義運動は、「偶像崇拝」やジャーヒリーヤを、無知というより「野蛮」として敵視している[10]

一神教における神のことを「唯一神」(ゆいいつしん)または「唯一絶対神」(ゆいいつぜったいしん)と呼ぶこともあるが、これは外部からの呼び名にすぎない。新共同訳や新改訳には「唯一神」「唯一絶対神」の翻訳はなく、「絶対神」「絶対的な神」の表現は聖書やクルアーンに一度も登場しない。旧約聖書のヘブライ語原文では、神(אֵל)ではなく神々(אֱלֹהִים)の表現が多用されるが、神々でありながら唯一、文法上は単数形扱いという特殊な用語のため、神と翻訳されている[要出典]クルアーンでは神を称える賛辞として「唯一なる」という語を用いることがある[信頼性要検証][11]

聖書中では、悪霊たちでさえ神はひとりであると信じているとされている[信頼性要検証][12]

多神教との融合や習合[編集]

枢軸国[編集]

ゲルマン神話・アーリア神話(ナチスドイツ)[編集]

日本神話・国家神道(大日本帝国)[編集]

『日本大百科全書』によると、明治維新王政復古によって祭政一致が政治理念の基本とされ、天皇は国の「元首」かつ神聖不可侵な「現人神」とされた[13]。ここには、人と神の間に断絶の無い日本古来の観念とは全く異なる、「一神教の神観念」が取り入れられていた[13]。天皇は「絶対的真理」と「普遍的道徳」を体現する至高存在とされ、あらゆる価値は天皇に一元化された[13]東アジア学者の石川サトミによれば、日本人にとっての天皇は「彼らの唯一神、すなわち天皇(their God, i.e. the Tenno)」とも表現される[14]

また、大日本帝国が存在した時代では、日本の「皇帝(the emperor)」が「唯一神として(as God)」見なされたり[15]、「人間形態として啓示された唯一神(God revealed in human form)」と主張されたりすることもあった[16](一神教では、唯一神は「皇帝(Empepror)」・「唯一の皇帝(sole emperor)」とも説かれる[17])。

  • ユダヤ教・キリスト教

例えば、帝国大学比較宗教学者だった加藤玄智は、天皇は「日本人にとって、ユダヤ人が唯一神と呼んだ一つの地位を専有している(occupying for the Japanese the place of the one whom the Jews called God)」と論じていた[16]。加藤は唯一神(キリスト)と天皇を結びつけ、

西洋にあっては即ち,日本にあっては天皇陛下,西洋にあっては宗教上の信仰,日本にあっては忠孝一本,西洋にあっては基督教,日本にあっては天皇教と斯う申して来たのであります。

と述べている[18]。同時に加藤は、日本人はみな「神の子」であるとしている[19]

  • イスラム

ピーター・リャン・テック・ソンの歴史学論文によると、唯一神と天皇を同じ唯一者として信じるように、イスラムへ命令が下されることもあった[20]。例えば大日本帝国は、ジャワ島ムスリムたちへ「メッカよりも東京に礼拝し、日本皇帝唯一神として礼賛せよ、という日本軍の命令(the Japanese military orders to bow towards Tokyo rather than Mecca and to glorify the Japanese Emperor as God)」を伝えていた[20]

ジャワ奉公会や日本軍は、ジャワ島のキャイ(イスラム教師)やイスラム指導者等といったムスリムたちから支持を得ようとした[20]。しかしその前に、日本軍が唯一神(アッラーフ・天皇)についての命令を伝えていたため、ムスリムたちは既に混乱させられた状態にあり、結果として失敗した[20]

脚注[編集]

参照文献[編集]

  • 前川, 理子「加藤玄智の神道論:宗教学の理想と天皇教のあいだで(1)」、『人文学研究所報』第46巻、神奈川大学人文学研究所、2011年、 85-100頁。
  • 村上, 重良 「天皇」『日本大百科全書』 小学館・朝日新聞社・VOYAGE GROUP、2018年。
  • ブルマ, イアン、マルガリート, アヴィシャイ 『反西洋思想』 堀田江理訳、新潮社、2006年。ISBN 978-4106101823
  • Fiddes, Paul S. (2000). Participating in God: A Pastoral Doctrine of the Trinity. Westminster John Knox Press. ISBN 978-0664223359. 
  • Ishikawa, Satomi 『Seeking the Self: Individualism and Popular Culture in Japan』 Peter Lang Pub Inc.、2007年。ISBN 978-3039108749
  • James, W. Fiscus (2004). Critical Perspectives on World War II. Critical Anthologies of Nonfiction Writing (Library Binding ed.). Rosen Pub Group. ISBN 978-1404200654. 
  • Sun, Peter Liang Tek (2008). A Life Under Three Flags (PhD Thesis). University of Western Sydney. 

関連項目[編集]