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'''林 鳳潭'''(はやし ほうたん、[[宝暦]]11年([[1761年]]) - [[天明]]7年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]]([[1787年]][[3月3日]]))は、[[江戸時代]]中期の[[朱子学]]派[[儒教|儒学者]]。[[林鳳谷]](ほうこく)の孫。[[林家 (儒学者)|林家]]6代。名は信徴。
'''林 鳳潭'''(はやし ほうたん、[[宝暦]]11年([[1761年]]) - [[天明]]7年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]]([[1787年]][[3月3日]]))は、[[江戸時代]]中期の[[朱子学]]派[[儒教|儒学者]]。[[林鳳谷]]ほうこくの孫。[[林家 (儒学者)|林家]]6代。名は信徴。


== 略歴 ==
== 略歴 ==
父の[[林龍潭]]が早く亡くなったため、14歳で祖父・鳳谷の跡をぎ、幕府儒官となる。[[天明]]5年([[1785年]])[[大学頭]](だいがくのかみ)となった。天明7年([[1787年]])27歳の若さで死去。同年、[[林錦峯]](きんぽう)が林家を継いだ。
父の[[林龍潭]]が早く亡くなったため、14歳で祖父・鳳谷の跡をぎ、幕府儒官となる。[[天明]]5年([[1785年]])[[大学頭]]だいがくのかみとなった。天明7年([[1787年]])、27歳の若さで死去。同年、[[林錦峯]](きんぽう)が林家を継いだ。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[林家 (儒学者)]]
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2010年10月28日 (木) 17:10時点における版

林 鳳潭(はやし ほうたん、宝暦11年(1761年) - 天明7年1月14日1787年3月3日))は、江戸時代中期の朱子学儒学者林鳳谷(ほうこく)の孫。林家6代。名は信徴。

略歴

父の林龍潭が早く亡くなったため、14歳で祖父・鳳谷の跡を継ぎ、幕府儒官となる。天明5年(1785年大学頭(だいがくのかみ)となった。天明7年(1787年)、27歳の若さで死去。同年、林錦峯(きんぽう)が林家を継いだ。

関連項目

先代
林鳳谷
林家 (儒学者)
6代:1774 - 1787
次代
林錦峯